日本橋七福神は、他の七福神めぐりと違って全て神社であるという特徴をもっています。
そして、巡拝先は、7箇所でなく、次の8社です。
宝田恵比寿神社(恵比寿神)椙森神社(恵比寿神)
笠間稲荷神社(寿老神)
末広神社(毘沙門天)
小綱神社(福禄寿、弁財天)
茶の木神社(布袋尊)
松島神社(大国神)
水天宮(弁財天)
この8社を順にご案内していきますが、今日は 宝田恵比寿神社 です。
宝田恵比寿神社は、東京メトロ「小伝馬町」駅4番出口から徒歩3分です。
【元は宝田村の鎮守様】
宝田神社は、江戸開府の頃、現在の皇居の中にあったとも外苑にあったともいわれる宝田村の鎮守様でした。
江戸城を拡張するため、宝田村は移転を命じられました。
その時に、馬込勘解由(かげゆ)と云う人が住民を引き連れて日本橋に集団移転をしました。
馬込家は遠江国馬込村出身で、当主になると勘解由を名乗りました。
家康に従って江戸に出てきて、宝田村に住んでいましたが、江戸城拡張のため替地として与えられた日本橋に移転しました。
それ以後、馬込家は大伝馬町の名主として街道の人馬継ぎ立てを管理運営しました。
その関係で、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張から商人を集めて、日本橋をあらゆる物資の大集積地とし、商業の中心として発展させました。
【家康から拝領した恵比寿像】 その馬込勘解由が、宝田村の鎮守様をこの地に移してお祀りし、恵比寿様が徳川家康から下賜されたので、御神体として宝田恵比寿神社に安置したのだそうです。
恵比寿様は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。
神社に上がらせていただき、拝観させていただきましたが、大きな像です。(右の写真です)
最近修復したそうですが、確かに鎌倉時代に作られてものであることがはっきりしたそうです。
【盛大なべったら市】
宝田恵比寿神では、毎年10月19日20日に「べったら市」が盛大に行われます。
「べったら市」は、江戸中期の中ごろから、10月20日の恵比寿講(商家で恵比須をまつり、親類・知人を招いて祝う行事)にお供えするため、前日の19日に宝田恵比寿神社の門前で、市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源です。
浅漬け大根のべったら漬けがよく売れたことから「べったら市」と呼ばれました。
500を超える露店が出るそうですが、べったら漬けの露店以外にも、「江戸屋」「今半」などの老舗まで軒を連ねて、約10万人の人出があるそうです。
ところでべったら漬けですが、アメと麹で大根を漬け込んでいるため、衣服にべったりとついてしまうことからべったら漬けという名になったと言われています。
15代将軍徳川慶喜もべったら漬けが大好きだったと言われています。

