松島神社は東京メトロ「水天宮」駅7番出口から徒歩2分です。
【松島神社はビルの中】
松島神社の由緒は、古い資料がすべて失われているのでハッキリしないそうですが、鎌倉時代末期の元亨年間以前の創建と伝えられているそうです。
当時、この辺りは入り江の小島であり、下総からここに移住してきた柴田家が自分のお屋敷の中にお稲荷様を祀ったとされています。毎晩、燈火(あかり)を掲げたので、舟人はそれを目標にして航路を確保したといわれています。江戸幕府が開かれる直前 の天正13年(1585)、 人々の希望により、屋敷を開放して一般の人の参拝を認めたそうです。
そして、島内に松が生い茂っていたことから松島稲荷大明神と呼ばれたといいます。
江戸時代中期 正徳3年(1713) に新らしく町が開かれるに当たり、松島稲荷に因んで、この付近は「松島町」と名づけられました。そして昭和8年に蛎殻町に改称されるまでその町名が残りました。
大正5年には、松島稲荷神社から松島神社と改称しました。
現在は、平成6年に建設された11階建てビルの1階に鎮座しています。
【大黒様でなく大国様】
松島神社でお祀りされている七福神は、大国様です。
大黒様は、一般的には大黒と書くことが多いのですが、松島神社では、大国と書いています。大黒天はもともと、インドのシヴァ神で、サンスクリット語で、マハーカーラと呼ばれる神様です。
マハーは「大きい」、「カーラ」は「黒」という意味です。
「大黒」とは、「マハーカーラ」を意訳した言葉です。
また、「大黒」は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の「大国」と「だいこく」という音で通ずるところかとから、二つの神様はしだいに一体視されるようになりました。
この松島神社では、大国主神(おおくにぬしのかみ)をお祀りしているので、大国神と呼んでいます。
大国主神と一体視される中で、憤怒の形相から満面笑みを浮かべた優しい顔をして、大きな袋を担ぎ、打出の小槌をもった大黒天になりました。
大黒天が大きな袋を背負っているのは、大国主神が因幡の白兎の説話において、兄神たちの荷物を入れた袋を持っていたためです。

打ち出の小槌の「槌」は「土」、すなわち様々のもの生み出す「大地」を意味するのだとも言われています。
大黒天の頭につけた頭巾は「上を見ない」という謙虚さ、二つの米俵は「二俵で満足する」という欲張らない清廉な心を示しているという説もあります。
また、大黒天の神使はネズミです。
これは、大国主神が危機に陥った時にネズミが助けたからだとか米俵とネズミは関係が深いからだとか言われています。
松島神社の前の通りを大門通りと言います。元吉原の大門があったことにちなんでいるとのことです。
赤印が松島神社です。
東京メトロ半蔵門線水天宮前駅5番出口より徒歩約1分
東京メトロ日比谷線人形町駅A1出口より徒歩約3分です。

