玄冶店(げんやだな)跡は、東京メトロ「人形町」駅A4番出口の前に説明板があります。
【玄冶店の主(あるじ)は医者】
ここは、江戸時代初期、幕府の医師であった岡本玄冶(げんや)の拝領屋敷があったことから「玄冶店」と呼ばれてました。
岡本玄冶は3代将軍家光が大病を病んだ時、玄冶が直したことから、将軍家光に大変信頼されていた医者だったそうです。玄冶は、権威には屈せず、春日局と堂々と渡りあったことについて、三田村鳶魚の『春日局の焼餅競争』に書かれています。
なお、『春日局の焼餅競争』は右下写真の「公方様の話」の中に載っています。
「家光が天然痘に罹ったことがありますが、その時春日は侍医の岡本玄冶に向って、酒湯にかかることは、唐の医書にないことであるから、御無用になされて御宜しかろう、と云った。
すると玄冶が、唐になくて日本で致すことも沢山ある、それを酒湯に限って、古来の仕習わしもあるのに止めるにも及ぶまい、医者のすることを素人の止めらるるもその意を得ぬ、一体医書にないと云われるが、唐の書物を見もせずに文盲な申事である、これを御覧ぜよ、と云って懐中から唐本の医書を出して見せ、読んで聞かせて御酒湯を済ませました。玄冶は更に、素人の分、殊に女性の身として不念な事を申され、小癪でござる、と痛く春日を遣り付けたということです。」
この岡本玄冶の子孫も明治まで9代この地でその職と名跡を継いだそうです。
【与話情浮名横櫛の源氏店はここ】
この玄冶店は、歌舞伎「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の舞台ともなりました。
「与話情浮名横櫛」は、3世瀬川如皐(じょこう)が書き、嘉永6年(1853)江戸中村座で初演しました。
木更津の博徒の妾お富と伊豆屋の若旦那与三郎の情話を描いたもので、通称「お富与三郎」または「切られ与三」として親しまれています。
9幕ありますが、特に4幕目「源氏店(げんじだな)」の強請場(ゆすりば)が有名です。
「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富久しぶりだなあ」の名せりふが語られるのが「源氏店(げんじだな)」の場です。
この「与話情浮名横櫛」で、源氏店とされた場所が、ここ玄冶店です。
「冶(や)」の字を「治(じ)」に置き換えると「げんじ」となり、そこへ「源氏」という字を当てて芝居の舞台にしたそうです。
また、昭和の時代に、春日八郎という歌手がいました。
その春日八郎のヒット曲に「お富さん」というのがありました。
「しんだはずだよお富さん」で始まる歌で、一世を風靡しました。
この歌は、この「与話情浮名横櫛」の「源氏店の場」を題材としたものです。
青印のところに説明板と碑があります。

