本所松坂町公園は、昨日書いたように、吉良邸のごく一部です(1.1%程度の大きさです。)
多くの人は、本所松坂町公園だけで満足しているようです。
しかし、今は、吉良邸の表門跡と裏門跡に、「ぶらり両国街かど展実行委員会」が建てた高札風の説明板がありますので、 それを見られると、吉良邸の広さが実感できると思います。
吉良邸は、東側に表門、西側に裏門がありました。
つまり、現在の両国小学校側に表門がり、回向院側に裏門がありました。
表門の高札は、マンションの敷地内に建てられています。
【吉良邸表門跡】 表門はかなり頑丈にできていたようです。
赤穂浪士の討ち入りの際には、大石内蔵助が指揮をとり、23人が表門として斬りこみました。
表門隊は、表門が頑丈であったため、梯子を門の屋根にかけてのぼり、その後、屋敷内に縄梯子を利用して降りて門を開けたといわれています。この際に、原惣右衛門は屋根から飛び降りて足をくじいたとも言われています。
討ち入りは、12月14日と言われていますが、実はその夜の寅の刻今でいえば午前4時ごろに行われていますので、正しくは日がかわって15日になっていました。
忠臣蔵では、討ち入りの時に大石内蔵助が山鹿流陣太鼓をうつ場面が必ずでてきますが、実際には、陣太鼓を打ったことはなかったそうです。
【吉良邸裏門跡】 裏門の高札もマンションの脇に建てられています。
赤穂浪士の討ち入りの時には、大石内蔵助の子供の大石主税が主将となって24人が裏門隊として斬りこみました。
裏門は表門とくらべて頑丈ではなかったため、大槌を使い、門を壊して討ち入ったといわれています。
【吉良邸は塀からの討ち入りは難しかった】
本所松坂町公園の海鼠壁は2メートル程度ですので、塀を乗り越えて吉良邸に討ち入りできるように思われます。
しかし、「堂々日本史」によれば、吉良邸の東・南・西の三方向には2階建ての長屋を兼ねた塀があり、その高さが6.6メートルもあったそうです。
現在のビルでは3階の高さになります。これだけの高さの塀が吉良邸の周りを取り囲んでいたので、その塀の上にのぼり、そこから降りるというのは大変難しかったようです。

