まず、「松坂稲荷大明神」と「吉良家家臣二十士」の供養碑についてご案内します。
【霊験あらたか松坂稲荷大明神】 これは、江戸時代、この辺りに鎮座していた「兼春(かねはる)稲荷」と「上野(こうづけ)稲荷」を合わせてお祀りしたものです。
公園開園当時からここに鎮座しています。
それ以前に、二つのお稲荷さんがどこに鎮座しているのか調べましたが、それは分かりませんでした。
「兼春稲荷」をどう読むかについても、「兼春(けんしゅん)稲荷」とフリガナをふった本もありました。
しかし、公園近くの和菓子屋さん「大川屋」のおかみさんに尋ねたところ「かねはる」と呼ぶと教えていただきました。
また、おかみさんの話では、「地元には『兼春稲荷』に助けていただいた方が大勢います。地元では霊験あらたかなお稲荷さんとして深く信仰されています。」ということでした。
【「吉良家家臣二十士」の供養碑】
兼春稲荷の隣に「吉良家家臣二十士」と刻まれた碑があります。
これは、赤穂浪士が討ち入りした際に、なくなった家臣の名前を刻んで慰霊したものです。赤穂浪士が討ち入った際、赤穂浪士側は、完全武装であったため、軽傷者2名で死者はゼロでした。
一方、衝撃された吉良方は、20人の死者が出ました。その20人の名前を書いて供養したものです。
死者で有名な人を挙げると、小林平八郎は、吉良家の家老です。
忠臣蔵によくでてくる清水一学の名前も刻まれています。
清水一学は、吉良上野介の小姓です。
その他18名の人の名前が刻まれていました。
吉良上野介のお墓がある中野区の功運寺にもこの人たちの碑があるそうです。
【入口わきに松坂稲荷大明神が鎮座】右の写真は 本所松坂町公園の入り口付近を撮ったものです。
写真左手が公園の入り口です。
入口を入るとすぐに、松坂稲荷大明神が鎮座しています。
その右手脇に 「吉良家家臣二十士」の供養碑があります。
写真では、右隅に映っています。

