【土屋主税邸への挨拶は事実】
忠臣蔵では、吉良邸に赤穂浪士が討ち入りした時に、赤穂浪士が、隣家の土屋主税邸に塀越しに挨拶をする場面があります。
わたしは、この話は、歌舞伎や講談の世界の話だと半分思っていました。
今回、本所松坂町公園を案内するにあたって調べていたら、これは事実のようだということがわかりました。。
元禄から享保にかけて活躍した儒学者室鳩巣(むろのきゅうそう)が書いた「鳩巣小説」という書物の中に、赤穂浪士が討ち入りした際の様子が書かれています。
これは、赤穂浪士が討ち入りした日の翌日、新井白石が、土屋主税を訪ねて聞いた話を、新井白石から聞いた室鳩巣が書き留めたものです。
それによると次のように話したそうです。
「赤穂義士仇討の時吉良上野介宅へ押よせてきた時 まず、 隣屋敷の土屋主税邸へ吉田忠左衛門方より従者を差越させて、『浅野内匠頭家来が、 主人の敵である吉良上野介殿御宅へ 只今押し込みました。騒動が及びかもしれません。武士は相い互の義ですので、お構いしませんように』と申し入れました。
土屋主税は、それを聞いて、心得た旨の返答をし、家来を透かし塀際へ出し、提灯をひしと差し上せ、その下に射手を揃え、もし塀などのり越えてくる者がいれば、射る落とすように申しつけ、自身は床机に腰をかけ、事が済むまで座っていました。」
これは、まさに忠臣蔵でよくでてくる場面どおりではありませんか。
土屋主税は、赤穂浪士を無言で支援をしたのでしょう。
「鳩巣小説」には、この後の様子も書かれていますが、長くなるので、以下は省略します。
関心のある方は、「続史籍集覧第6冊」(臨川書店発行)に収録されている「鳩巣小説(下)」をお読みください。
【土屋主税は久留里藩主の嫡男】
ところで、土屋主税逵直は、上総久留里藩主土屋直樹の嫡男として生まれました。
藩主直樹の奇行や不行跡が重なったため、久留里藩は 藩主狂気を理由に改易されてしまいます。
それでも嫡男の逵直には父祖の功績により3千石が与えられ、屋敷が本所にあったのでした。
新井白石は、久留里藩が改易されるまで、藩儒として仕えていましたので、土屋主税とは面識があったものと思います。
また、新井白石と室鳩巣は、木下順庵のもとで一緒に学んだ間柄でした。そのため、室鳩巣も新井白石から、このことを聞いたんだと思います。