しかし、今日は寒むくなりました。東北地方の被災地では雪の予報です。自然であるため何の抵抗もできませんが、「どうしてまた雪なのか」とつい思ってしまいます。
この寒さと月曜日で事業活動が始まることから、今日は計画停電が予定されています。
江戸時代は、電気がなくて不便だと思う人がいると思いますが、江戸の人たちは太陽とともに生活していました。
太陽が昇れば起きだし、日が沈めば寝る準備をするという生活です。
ですから、暗くなれば早めに寝る習慣でしたので、照明がなくても大きな不便はなかったようです。
江戸時代の時刻の決め方は、現在とはちがう不定時法とよばれる決め方でした。
現代の1時間は、1日を24で割って算出します。
だから、夏でも冬でも1時間の長さは変わりません。これを定時法と言います。これに対して、江戸時代は、日の出と日の入りを基準として、昼と夜をそれぞれを6等分して、一刻(いっとき)を算出しました。そのため、昼と夜とでは、一刻の長さが違いましたし、夏と冬でもちがいました。これを不定時法と言います。
『日の出の時刻が「明け六つ」、日没が「暮れ六つ」と呼ばれました』と多くの本に書かれていますが、作家の石川英輔氏によると、厳密には「明六つ」は日の出ではなく、「暮六つ」も日没ではないそうです。
厳密には、「明六つ」は太陽の中心が地平線の下7度21分40秒の位置にある時と決まっていたそうです。時間で言えば日の出の約36分前が「明六つ」だそうです。
同じように「暮六つ」も、太陽の中心が地平線の下7度21分40秒の位置にある時と決まっていたそうです。時間で言えば日没から約36分後が「暮六つ」になります。
日の出の36分ほど前から日没の約36分後が昼の時間で、これを6等分して昼の一刻(いっとき)がきまりました。
ですから、春夏秋冬と四季により、「一刻」の時間が違うことになります。
一刻の時間が違っても江戸時代の人は困りませんでした。
江戸時代の人たちは、日の出とともに活動をはじめ、日没とともに活動を抑えるという生活をしていました。
これは、日の長い季節は、長く活動し、日の短い時季には、短く活動するということですので、自然の摂理に応じた合理的な生活習慣だと言われています。
『夜間、計画停電ガ予定されていたら、早目に退社し早く食事をし早く寝る。そして、翌日は早く起きて活動を始める。』 こんな生活をして、計画停電を乗り切っていきたいと考えています。
まだ電気も水もガスも供給されていない被災地のことを考えれば、3時間程度の停電はなんでもありません。

