今日は、それを描いた鯰絵(なまずえ)について書いていきます。
【鯰絵(なまずえ)】
安政の大地震の後、右写真のような鯰絵が、盛んに出版されました。☆右写真は、国立国会図書館のHPから転載させていただきました。
鯰絵というのは、地震をおこすと信じられていた鯰を題材に描いた浮世絵です。
その鯰絵に、浅草寺のことを書いたものがありますので、それを紹介します。
【鯰絵「地震出火後日角力」】
「地震出火後日角力(じしんしゅっかごじつずもう)」というタイトルの鯰絵(下記写真)は、安政大地震の後の大儲をした連中と、大損をした連中をその儲の多い方、損害の大きい方から、角力見立番附(すもうみたてばんづけ)に並べたものです。
上段には儲けた人々、下段には損をした人々が記されています。儲けたほうは大関として材木問屋、関脇は仮宅(かりたく)、損をしたほうの大関の三町休座というのは建物が燃えてしまい営業ができなかった芝居小屋のことです。関脇は地震後発生した大火により壊滅的打撃を受けた花街(新吉原)が挙げられています。
仮宅というのは、吉原が大火などにあった際に、吉原とは別の場所で仮に営業することを言います。
【浅草寺の被害】
浅草寺の被害が描かれているのは、この絵の下段部分です。
この絵の下の部分では地震で被害をうけたた浅草寺の六地蔵・濡れ仏・雷門・五重塔が人間に見立てられて、打身骨継療治所で患者として治療をうけています。

「六地蔵」は、花川戸町の入口にあったもので、現在は、浅草寺の本堂西にある影向堂(ようごうどう)の前に移されています。
「六地蔵」は普段は、人間が自分の身体をところどころ削り取って持ち去るなどひどい目にあっているのに、今回は6人いっぺんにやられたと嘆いているそうです。
「濡れ仏」は、宝蔵門の南東にある仏像で、観音菩薩像と勢至菩薩像が並んでいて、二尊仏と呼ばれてます。仏像を覆う建物がないため、「濡れ仏」と呼ばれました。
その「濡れ仏」のうちの観音菩薩が、勢至菩薩が大丈夫なのに、自分だけがひっくりかえり、意気地がないとぼやいています。
そして、「五重塔」は、すまして立っているところに、地震が突然だしぬけにドンと襲い揺らされたので九輪が曲がったと嘆いています
五重塔の九輪が曲がったことについては、江戸検一級仲間の月猫さんのブログ「江戸、東京ときどきロンドン」にも書かれています。
あんまを受けているのは雷です。いうまでもありませんが、「雷門」の雷神様です。
なお、上記の写真は、消防防災博物館さんのHPより転載させていただきました。どうもありがとうございました。
消防防災博物館さんのHPの中の「世相をあらわす地震鯰絵」には、鯰絵がたくさん掲載されています。
ご興味のある方は訪ねてみてください。

