今日も、鯰絵をいくつか紹介します。
鯰絵は、地震直後から発行され、それは200~300種類あるとも言われています。
その中で、代表的なものを一部紹介します。
江戸時代、地震は地底にいる大鯰が暴れることにより起こると考えられていました。
そして、鯰が暴れないように、平常時は鹿島神宮の鹿島大明神が要石(かなめいし)により押さえていると考えられていました。
安政の大地震は、安政2年(1855)10月2日の夜10時ごろに起きています。
10月は神無月で、全国の神様が出雲に集まります。当然、鹿島大明神も、出雲に行きます。その留守の間に鯰が暴れたと説明されました。
そのため、地震直後は、鯰をこらしめたり、鹿島大明神にわびをいれたりする絵柄が多く描かれたそうです。
そうした種類のいくつか紹介します。
【1、『あんしん要石』】
おおぜいの人が要石を拝んでいます。
文章によると、年寄り、大工、新造、瀬戸物屋、芸人、吉原の人、医師など、いろいろな職種の人が集まって、要石を拝んで、地震が起きないようにとお願いしている絵です。

【2、『鯰退治』】
これは絵だけで説明文はありません。
大きな鯰に、大勢の人が乗って、丸太や天秤棒、包丁や大槌で襲い掛かっています。
地震をおこした鯰に対して怒って、大勢の人が怒っている絵です。
鯰を退治している人は、武士、町人、僧侶、花魁などさまざまな人が含まれています。

【3、『自身除妙法』】
これは長い説明文がかかれています。
鹿島大明神が、留守の間に地震を起こしたのは大罪だと、鯰を怒っています。
それに対して、鯰の頭が、「鯰の仲間が乱痴気騒ぎをしたので家蔵を壊してしまいました。
今後は、このような騒乱を起こしません。天下泰平・五穀豊穣を守ります」と答えました。
そこで鹿島大明神は鯰たちを許したそうです。

【2、『おそろ感心要石』】
出雲から戻った鹿島大明神が、鯰を捕らえて要石の下に埋めています。
そして、人々に、自分が戻ったからには身震いどころか貧乏ゆすりもさせないから安心するようにと言っているそうです。

画像の1,2,4については、国立国会図書館さんのホームページから、転載させていただきました。また画像3については、消防防災博物館さんのホームページから転載されていただきました。ありがとうございました。

