桜の記事を書くにあたり、染井村を見なくてはと思って、訪ねてみました。
染井村を訪ねたのは、3月中旬でしたので、ずいぶん経ってしまいましたが、何回かに分けてご紹介します。
今日は、8代将軍徳川吉宗の御用植木師で、ソメイヨシノを作り出したともいわれる伊藤伊兵衛正武のお墓のある 西福寺 です。
【伊藤伊兵衛三之烝(さんのじょう)】
「伊兵衛」というのは、伊藤家で代々世襲した名前です。
その中で、江戸時代の元禄・享保期に活躍した伊兵衛三之烝(さんのじょう)・政武(まさたけ)親子が有名です。
3代目伊兵衛(三之烝)は、霧島から取り寄せた躑躅の生産者として元禄5年(1692)に躑躅・皐の図解書「錦繍枕」を書き、さらに元禄8年(1695)に総合園芸書「花壇地錦抄」を著したことで有名です。
屋号を「つつじ屋」と称したそうです。
伊兵衛は伊勢国津藩主藤堂家出入りの露除で、藤堂家で花期を過ぎて捨てられてしまう植木・草花類を自分の庭に持ち帰り栽培を続けて、次第に多くの種類の植木が集まったと、享保4年(1719)刊行の『東都紀行」に書かれているそうです。
【伊藤伊兵衛正武】
4代目伊兵衛(政武)は、8代将軍徳川吉宗の御用植木師として活躍しました。また伊兵衛は染井の園芸発展にも尽力し、染井の名を世間に広く知らしめるものとなった。
こうしたころからソメイヨシノを作り出したのは、伊藤伊兵衛正武であるという説もあります。
また、草花類を収録した図譜「草花絵前集」元禄12年(1699)をはじめとして、3代目伊兵衛(三之烝)の書いた「花壇地錦抄」の続刊として、「増補地錦抄」を宝永7年(1710)「広益地錦抄」を享保4年(1719)「地錦抄附録」を享保18年に刊行しました。
伊藤伊兵衛正武のお墓が、西福寺にあります。
正武は樹仙と号したので、墓石には「樹仙」と刻まれています。
駒込には伊藤家は多いものの、正武直系のご子孫はなく、時々、園芸に関心のあるひとのお参りがあるとのことでした。
【伊達慶邦公墓址記念碑】
この西福寺には、伊達慶邦公墓址記念碑があります。
伊達慶邦は仙台藩13代藩主で、最後の仙台藩主となった人物です。
天保12年、17歳で藩主に就きました。
そして、明治元年(1868年)には奥羽越列藩同盟の盟主となりました。
戊辰戦争に敗れた後は、東京で謹慎生活を送り、明治7年(1874年)に50歳でなくなりました。
遺体は初め西福寺に埋葬されたが、後に仙台の大年寺(現在は廃寺となって、伊達家墓所のみが残っているそうです)に改葬されました。
伊達慶邦公墓址記念碑は旧家臣によって建立されたといいますが、大きな石碑で、墓地内でもひときわ目立ちます。