当日、雨のせいもありますが、拝観者は少なく、ゆっくり見ることができました。
庭園が雨のため拝観中止になるかもしれないというので、先に庭園を見て、その後に大絵馬寺宝展を見ました。
大絵馬寺宝展は撮影禁止ですので、庭園のほうの紹介します。
また、伝法院の庭園には、浅草散歩の下見をかねて桜の時期にも入場しましたので、その際の写真も利用しながらご紹介します。
【五重塔とスカイツリーが並び立つ】
伝法院の庭園は、いつもは非公開です。
今回は、本堂の大営繕が完了したのを記念して特別に公開されました。3月25日に公開され4月28日までです。
まもなくまた非公開となってしまいます。
伝法院の庭園が前回に公開されたのは3年前だそうです。
大絵馬寺宝展の展示場所を出ると、このように五重塔とスカイツリーが並んで見えます。
【池に映る五重塔】
伝法院の庭園は、約3,700坪あります。
庭園は、江戸時代はじめの寛永年間(1624~44)に有名な小堀遠州(こぼりえんしゅう)により作られたと伝えられています。
心字池のくびれた所は、五重塔を撮影する絶好のビューポイントです。
左は3月の時の写真、水面に五重塔が映っています。右は、浅草散歩の時の撮影ですが、若葉が萌え出ています。
若葉と小雨模様の天気のため、水面に映る五重塔はとれなくなってしまったので、若葉が出る前のものも載せました。


【絵になる大書院】
庭園に面して大書院(おおじょいん)があります。
大書院は明治4年(1871)に建築されたものです。
上・中・下の間に分かれていますが、江戸時代のものは、輪王寺宮が浅草寺にこられた時は、上の間で休まれたと書かれていますが、現在は、あまり使用されていないようです。
公開初期は、ここでお茶の接待がありました。23日は、大書院の隣の「新書院」でお茶の接待があり、参加者全員でいただきました。
庭園からみた大書院、枝垂れ桜が満開の時に撮った大書院です。

もう一枚 スカイツリーをバックにした大書院です。これも3月に撮った写真です。

【本堂裏から出土した石棺】
これは古墳時代末期の石棺です。大書院の前に置かれていました。
明治の初めに、本堂の裏手から発掘されたものだそうです。浅草は、江戸でもっとも早く人が住みついた場所といわれていましたが、それを証明するものといわれています。
なお、戦災で本堂が焼失した後、再建するため発掘調査したそうです。すると、そこから、奈良時代の遺稿や道具が出土して、浅草寺は奈良時代にかなり大きなお寺であったことがわかったそうです。
【庭園内の茶室「天佑庵」】
天祐庵は、江戸時代の天明年間に尾張名古屋の茶人牧野作兵衛が京都の表千家の茶室「不審庵」をそっくりまねして作らせたものです
大正5年に向島の水戸徳川家のお屋敷(徳川圀順邸)、同12年に上目黒の現ツムラの前身である津村順天堂の創業者津村重舎(つむらじゅうしゃ)邸に移築されました。目黒に移された直後、関東大震災がおきました。
関東大震災で水戸徳川家のお屋敷は壊滅してしまいました。
しかし、この茶室は幸運にも、関東大震災をまぬがれたため、「天祐神助」(天の助け、神の助け)であると喜び、「天祐庵」と名付けられたそうです。
さらに戦災をまぬがれ、昭和33年10月、東急の五島慶太ならびに浅草寺婦人会の尽力により伝法院に移築されたものです。
東京都の有形文化財に指定されています。
今回の特別公開の間に4回、庭園に入りました。
その時々で景色が変わるのに驚かされました。
先週土曜日には藤やつつじが咲き始めていましたので、こらからは、それらが目を楽しませてくれます。
こんなすばらしい庭園が非公開なのは大変残念です。
また、大絵馬もすばらしいものでした。参加された皆さんも大変驚いていました。そして喜んでいました。
撮影禁止であるため、それらが紹介できないのが大変残念です。

