日本橋散歩の続きで、今日は、三越のお話です。
【越後屋は三井高利の祖父が越後守だったから】
いうまでもありません、三越は、江戸時代、越後屋でした。
越後屋の創業者は、三井高利です。三井高利は、伊勢国松坂の出です。
1673年(延宝元年)創業ですので。創業以来約340年になります。
三井家は、大和とも近江とも言われる出身の武士であると言われています。
高利の父の代に松坂で、商人になりました。
越後屋という商号は、高利の祖父高安が越後守であったので、越後屋という名前にしたと言われています。高利は、8人兄弟の末っ子で、長兄俊次は江戸で呉服店を経営していました。14歳のとき江戸に出て、高利はそこで働きますが、あまりにも商才があったので、警戒した兄から、母の孝養という理由をつけられて、28歳のとき松坂に帰されてしまいます。
そして、再度江戸で商売ができるようになるのは、長兄が死亡した後になります。
1673年(延宝3年)、52歳の時に、長男の高平を江戸の責任者にして、本町1丁目(ちょうど現在の日銀新館あたり)にお店を開きます。
そこで、10年間商売をしますが、同業者に恨まれ、迫害を受けるようになり、1683年(天和3年)に、駿河町に移転しました。
駿河町で開店した場所が、現在、三越のある場所です。
現在の三越の建物は、明治44年7月5日に起工し大正3年9月15日に完成しました。
三越100年史によりますと、地下1階、地上5階 面積2043㎡、延べ床面積 4000坪ありました。
当時は、スエズ運河以東で最大の建物と言われました。
設計は、横河民輔によります。
平成11年4月には、「東京都選定歴史的建造物」に選ばれました。
【三越と言えばライオン像】
三越の正面玄関にあるライオン像は、モデルとなったのは、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像です。大きさはそこの約半分になっているそうです。
英国の彫刻家メリフィールドが型どり、バルトンが鋳造したものです。完成までに3年の歳月を要したそうです。
これは、当時の三越の支配人の日比翁助(ひびおうすけ)のアイデアです。
日比は、ライオンが大好きで自分の息子に「雷音」と名前を付けたほどでした
戦時中の金属回収に伴い供出されましたが、海軍の配慮で東郷神社に奉納されていたのが、戦後、三越社員に発見され、21年に三越に戻ったというエピソードがあります。
【名所江戸百景「する賀てふ」】
有名な歌川広重の名所江戸百景のうちの「する賀てふ」、それとほぼ同じ方向からみた現在の姿です。
現在の写真の左側が三越、右側が三井本館です。
越後屋は、広重の絵のように、道の両側に、お店を構えていました。
それは、店の暖簾に「丸に井桁三」のマークがついているので、越後屋であることがわかります。
絵の右側を本店(ほんだな)といい、呉服(絹織物)を扱っていました。
左側は向店(むこうだな)といい、太物(綿織物)を扱っていました。


江戸時代には、正面に見えた富士山は、いまや、ビルにさえぎられて、まったく見えません。
なお、この場所が、江戸時代には「駿河町」という町名であったのは、富士山が見えたからだと言われています。
この由来がもっともだと思わせてくれる広重の「する賀てふ(するがちょう)」です。

