日本銀行本店は、江戸時代の「金座跡」に建っていますので、「江戸」とも大変関係の深い建物です。
【日本銀行の設計は辰野金吾】
日本銀行は、三井本館の西隣にあります。
日銀は、明治29年に作られました。設計は、東京駅も設計した辰野金吾です。ベルギーの中央銀行を模範に設計したと言われています。
建物の1階は石造りです。2階3階も、外観からは石造りにみえますが、実はレンガ造りで表面に石を積んだ「石積みレンガ造り」です。
当初の構想では、日銀は総石造りとする予定でしたが、明治24年の濃尾大地震の被害状況から、地震が多い日本では、欧米のような総石造りは無理であると判断しました。
そのため、2階3階部分は、石造りより軽くなる「石積みレンガ造り」としたそうです。
日銀の建物は、関東大震災にも耐えた建物で、国の重要文化財に指定されています。
日銀本店の正面玄関入口には、咆える2頭の雄ライオンが6個の千両箱を踏まえて後足で立ち、日本銀行のシンボルマーク「めだま」を抱えた青銅製の紋章があります。
右下の写真がそれです。
【日本銀行は江戸の金座跡】
日銀のある場所には、江戸時代「金座」がありました。
江戸時代は、金貨と銀貨と銭貨の三種類のお金が流通しました、そのため、それぞれの通貨を製造する金座、銀座、銭座が設けられました。金座というのは、小判をつくったり、金貨の鑑定を行うところです。広さは、約3300坪ありました。
江戸での金座の始まりは、文禄4(1595年)で、 江戸時代の初期には、金座は江戸のほか、京都、佐渡、駿河にもありましたが、中期以降は、江戸が中心となりました。
また、当初は小判座と呼ばれていました。金座の長官は、御金改役といいまして、後藤庄三郎の家が代々勤めました。
しかし、後藤家は文化7年(1810)に不正があったため取り潰され、後任の後藤家の分家も弘化2年(1845)に取り潰されてしまいました。
【一両はいくら】
1両が現在ではどのくらいの価値になるかとよく話題になりますが、正確な答えは、はっきりないのです。
というのは、何を基準にするかによって、大きく変わるからです。例えば、米を基準にすると、おおよそ5万円前後、賃金を基準すると30万円になるそうです。
こんなに差が出てしまいます。
でも、これでは目安になりませんので、そば代で計算すると、15から16万円になるので、丁度、米と賃金で計算したものの中間でものあるので、15万程度とするのがわかりやすいと思います。
1両=15万と覚えられるとよいと私は思っています。
左写真は、貨幣博物館に展示されている「慶長小判」です。重さ約18ミリグラムあります。
【千両箱の重さ】
小判が詰まった千両箱の重さはどのくらいかご紹介します。
時代劇では、千両箱を盗賊が軽々かついで屋根の上を走っていく場面が多くあります。しかし、そんな簡単には運べませんでした。
実は、江戸初期の小判は1枚約18グラムあります。それが1000枚ですから、小判だけで18キロになります。それに千両箱があります。
千両箱は日銀向かいにある貨幣博物館に本物が展示されています。
右の写真が千両箱ですが、実物は意外と小さいという印象を私はもちました。
その千両箱ですが、物によって当然ちがいますが、2キロ程度はあるようです。
そうしますと、小判の詰まった千両箱は全体で20キロ程度あるということになります。
なかなか千両箱を簡単に運ぶのは難しいということになります。

