自證院は、都営地下鉄「曙橋」駅から徒歩約10分です。
【創建は、家光の長女千代姫】
自證院は、はじめ法常寺といって、牛込榎木町にありました。
寛永17年(1640)に、尾張藩主徳川光友の夫人千代姫の母お振の方(自証院)を供養するため、市谷の現在地に移転し、寺号を自證院に変えました。当初は日蓮宗不受不施派の寺院でしたが、寛文5年(1665)日蓮宗不受不施派が禁止されたため、天台宗に宗旨を改めました。
自證院という名前は、お振の方の法名に由来する名前です。山号は、鎮護山といいます。お振の方は、3代将軍家光の側室です。
母は祖心尼の娘、父は蒲生家臣の岡重政もしくはその息子の岡吉右衛門と言われています。 祖心尼は春日局の義理の姪にあたり、局に請われてその補佐役を務めた人物です。
【お振の方は、家光の初めての側室】
お振の方は、徳川家光の乳母である春日局の養女として大奥に入り、家光の手がついて初めての側室となりました。
男色を好む家光に男装して近づいたという俗説があります。
寛永14年(1637)には、家光の初めての子である長女千代姫を産みます。しかし、その後体調を崩し3年後の寛永17年(1640年)なくなりました。
お振の方の法名は自証院殿光山暁桂大姉と言います。。
慶安5年(1652)には、千代姫の発願により、「お振りの方」を祀る霊廟が建てられました。
現在この霊廟は「旧自証院霊屋」として江戸東京たてもの園内に移築保存されています。
【江戸名所図会に書かれた自證院】
江戸名所図会にも次のように書かれています。
鎮護山自證院
円融寺と号す。天台宗にて東叡山に属せり。尾州亜相光友卿の御簾中千代姫君の御母堂、 自証院殿光山暁桂大姉御菩提のために開創せし精舎なり。本尊は阿弥陀如来、開山を日須(にちしゅ)上人と号す。
当寺始めは日蓮宗にて、本理山自證寺と唱えしが、元文年間(1736~41)ゆえありて天台宗に改められる。
下の赤印が自證院です。富久小学校の東隣にあります。

