その第1回として「江戸城」の案内をしました。
金曜日に、関東地方の梅雨入り宣言が出されて、土曜日も小雨模様でしたが、次のようなコースで案内をしました。
平川門 ⇒ 梅林坂 ⇒ 潮見坂 ⇒ 白鳥濠 ⇒ 大手門 ⇒ 三の丸尚蔵館 ⇒ 大手三の門 ⇒ 中の門 ⇒ 中雀門 ⇒ 富士見櫓 ⇒ 松の大廊下跡 ⇒ 富士見多聞 ⇒ 石室 ⇒ 天守台 ⇒ 北拮橋門
の順でした。
雨模様でしたが小雨でしたので、東御苑には見物客がかなりいました。
雨のおかげで、音が消され、そして新緑が鮮やかになり、参加された皆さんも「雨が降って、いつもとは違う風景がみられました」とか「雨も風情があってよい」というご感想があり、思いがけない天から贈り物をいただきました。
また、参加者の皆さんからの積極的なご質問も多く楽しく案内させていただきました。
参加された皆さん、どうもお疲れ様でした。
雨に濡れた東御苑もすばらしかったので、いくつか紹介します。
【平川門】

大奥の通用門であったため、「お局門」の別名もあります。
春日局が、門限に遅れたため、城内にはいれず締め出されたというエピソードが有名です。
この時の門番(小栗又一郎と言われています)がご加増になったという話もあります。
小栗又一郎は、幕末に勘定奉行等で活躍した小栗上野介の先祖です。
また、不浄門とも呼ばれました。
【白鳥濠の前の松並木】

ここで、東御苑の松は昔からあったのかという質問がありました。
「昔、一般的には、お城の中には、防衛上から、庭園以外には、あまり木が植えられえていなかった」と説明をしました。
【二の丸から見る百人番所】

百人番所は、大手三の門を警護していた伊賀・甲賀・根来・二十五騎組の4組の「鉄砲百人組」が詰めていた番所です。
その4組のうちの伊賀組が拝領した組屋敷の跡が、新宿区の百人町の地名として残っています。
【大手三の門】

この門前には木橋があり、その前に「下乗」という立て札が立てられていて、御三家と輪王寺宮以外は、駕籠をおりなければなりませんでした。
現在は、下乗門の前の濠も埋めたてられてしまっています。
【中の門】

中の門の巨大な石垣は、人々を圧倒するようです。
黒い石は、東伊豆産の安山岩、白っぽい石は瀬戸内海産の花崗岩です。
宝永元年(1704)に、鳥取藩の池田吉明が築造したと推定されています。
【天守台】

明暦の大火で、寛永度の天守が焼失し後、天守台が加賀藩主前田綱紀によって築かれます。
しかし、天守は、保科正之の決断により再建は取りやめられます。 保科正之の決断に参加者の皆さんも感心していました。
なお、保科正之は、お江の嫉妬を恐れ、側室をつくらなかった秀忠が唯一側室に生ませた子供だと言われていて、お江との関係のある人物です。
次回の「お江ゆかりの地を行く」は、「増上寺」をテーマに6月25日に開講します。

