「中之門」は、百人番所の先にあります。
江戸城の城門は枡形門が多いのですが、 「中之門」は、枡形門ではなく、渡櫓門があるのみでした。
現在残っている「中の門」の両側の石垣は巨石をそろえたもので威圧感があります。石垣を見ただけでも非常に重厚で、圧倒されそうな門だったと思います。
【中之門修復工事】

この「中之門」は平成17年から20年に石垣の修復工事が行われました。
そこでいろいろなことがわからりました。
修復工事についての説明板(左写真)が、中之門の脇に設置されています。

修復工事の際に、宝永元年(1704)に鳥取藩主の池田吉明が築造したと刻んだ石が見つかりました。
石には「宝永元年甲子四月日 因幡伯耆両国主 松平右衛門督吉明築之」と刻まれていてようです。(右写真参照してください)
このことから、現在の石垣は、鳥取藩主の池田吉明(のち吉泰)が築造したものと考えられています。
池田吉明が行った工事は、元禄の大地震で、中の門が破損したため、修復工事をしたもとのと考えられています。
元禄大地震は、元禄16年(1703年)11月22日午前2時ごろ、関東地方を襲った大地震です。
震源は房総半島南端の野島崎と推定され、マグニチュードは最大8.2と推定されています。
この震災で江戸から東海道にそって小田原・箱根まで大きな被害を受けたといわれています。小田原の被害は特に大きく地震直後に発生した火災により小田原城の天守閣も焼け落ちてしまいました。
【巨石の見本】
上の中之門写真を見てください。中の門は、白い石と黒い石が使用されています。白い花崗岩は瀬戸内海産の石であり、黒い石は東伊豆産の安山岩だそうです。
見本が説明板の前に並べられています
この石は、瀬戸内海産の花崗岩です。
この石は、瀬戸内海産の花崗岩です。
この石は、東伊豆産の安山岩です。黒っぽいのが特徴です。

