今日は、この鐘楼に吊るされている銅鐘のお話です。
【元は厳有院殿霊廟の鐘】
この鐘は、4代将軍家綱の一周忌の延宝9年(1681)58日に 厳有院殿霊廟前の鐘楼に奉納されたものです。鐘の大きさは、総高177.2センチ、口径91.8センチあり、台東区有形文化財に指定されています。
明治維新以降に、寛永寺根本中堂の鐘として、ここに移されたそうです。
現在は、除夜の鐘などに使用されているそうです。
作者は、椎名伊予守吉寛です。
椎名伊予守は、江戸時代前期に活躍した江戸の鋳物師で、現在の平川橋にある儀宝珠や増上寺の大鐘を造った人です。
この鐘は、4代家綱の霊廟つまり厳有院殿霊廟の鐘楼の鐘であったということなので、徳川将軍家の霊廟について書いてみます。
【将軍家霊廟の構成】
将軍家霊廟は、大きく分けて二つの区画に分かれます。
本殿すなわち霊殿(位牌所)を中心とした区画と宝塔すなわち廟(墓所)を中心として区画です。霊は、ニ天門、勅額門、鐘楼、水盤舎、井戸と井戸屋形、中門回廊、供所〔装束所〕、拝殿、相之間、本殿(仏殿)、仕切門などの建物があります。
廟は、唐門、拝殿、中門(鋳抜門)、宝塔から成っています。
【厳有院殿霊廟の大きさ】
厳有院殿霊廟は、延宝9年(1681)上棟した建物が元禄11年に焼失してしいました。
そして、翌元禄12年に再建されました。
焼失前の厳有院殿霊廟の主な建物の大きさは、仏殿が京間3間2尺9寸、相之間 桁行 京間4間4尺7寸、拝殿 桁行 京間 7間5尺9寸 だったそうです。
元禄12年に再建された厳有院殿霊廟も大部分が戦災で焼失しましました。
現在残っているのは、既に紹介したように勅額門と水盤舎だけです。

