国立博物館の西側で、昨日紹介した国際子ども図書館の南隣にあります。
上野駅からは、徒歩10分程度の距離です。
【黒田清輝の遺作を展示】
黒田記念館とは、日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝の遺作を展示している記念館です。
黒田記念館は、大正13年に没した黒田清輝の「遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるように」という遺言をうけて岡田信一郎設計により昭和3年に竣工しました。
館内には、遺族から寄贈された遺作を展示するための黒田記念室が設けられました。 平成13年には、記念室にくわえてギャラリーを増床し、リニューアルオープンしました。
黒田記念館では、黒田清輝の有名な『湖畔』をはじめとした油彩画126点、デッサン170点のほか写生帖、書簡などを所蔵し,作品を展示しています。
重要文化財の「湖畔」が直に見られて感動します。
開館は、木曜日と土曜日の午後1時30分~午後4時と限られていますのでご注意ください。
また、2011年は夏季節電のため6月30日(木)から10月8日(土)まで休館です
黒田記念館の外壁は、スクラッチ・タイルで覆われています。スクラッチタイルというのは、表面に引っかいた(スクラッチ)筋が入っているので、こう呼ばれます。ライトが設計した帝国ホテルに用いられたことから、昭和初年頃の建物によく用いられたそうです。
また、入口の扉の上部には篆書で「黒田記念館」と書かれています。
【黒田清輝の略歴】
黒田清輝は、慶応2(1866)年、現在の鹿児島市で生まれました。父は島津藩士であった黒田清兼の長男として誕生しました。
そして、明治4年(1871)に父清兼の兄黒田清綱の養子になり上京しました。
養父となった清綱は、幕末には鳥羽伏見の戦いなどで数々の武勲をたて、維新後は、東京府大参事、文部少輔、さらに元老院議官を歴任し、明治20年には、子爵をさずけられました。
清輝は少年時代、恵まれた環境で成長し、明治17年(1884)に法律研究のためフランスに留学しました。
しかし、留学中に、画家になること決意し、明治19年には法律学校を退学し、フランス人画家ラファエル・コランに入門しました。
明治26年夏帰国した清輝は、明治29年には東京美術学校に新設された西洋画科の主任となり、さらに、白馬会を結成しました。白馬会とは、彼らが好んだ濁り酒「シロウマ」から名付けられたといいます。
その後は、画家としての活動より美術行政の面での活動が多くなり、大正6年には子爵となり、大正9年には貴族院議員、さらに大正11年に帝国美術院院長などの要職につき活躍しました。