ほとんどの人が振り向かないと思われる建築物ですが、今日は、その「博物館動物園駅」のお話です。
「博物館動物園駅」は、昭和8年の京成本線開通にあわせ開業しましたが、平成9年に廃止となりました。
そのため、現在は使用されていませんが、地下にはホームがまだ残っているとのことであり、駅舎もユニークな建物であるため、残されています。
京成電鉄は、名前の通り、東京と成田を結ぶ鉄道です。
大正元年に押上・江戸川間と高砂・柴又間が開通し、大正15年に成田まで開通しました。
最初、始発駅は、浅草の予定でしたが、最終的には、上野へ乗り入れることとしました。そして、昭和6年には青砥・日暮里間が開通しました。
そして、日暮里・上野間は、多くの建物が建ち並んでいるため地下を通すことになりました。
しかし、国立博物館の土地は宮内省管轄の土地であったため、その地下に民間鉄道を通すためには、枢密院会議の了承が必要でした。
そこで、昭和8年3月8日の枢密院会議に架けられ、全員一致で可決されました。
そして、昭和8年12月10日に日暮里・上野間が完成しました。
この時に、「博物館動物園駅」も開業しました。
上野・日暮里間は地下を通っていますが、工事は地上から掘っていったようです。ちなみに、京成本線は、駅舎の建物と黒田記念館の間の道路の下を通っています。
ところで「博物館・動物園駅」の駅舎は、地下を通ることを了承した枢密院の建物に似ています。
枢密院の建物は、皇居内に現存しており(上の写真)、現在は皇宮警察本部の建物として利用されています。
枢密院の建物は、国会議事堂のモデルになったとも言われています。東京芸術大学側から撮った写真が一番上の写真です。よく見ると国会議事堂に見えました。
ところで、「博物館動物園駅」の出入り口は、動物園側にもあります。
旧奏楽度の脇の道を動物園に向かっていくと、東京芸術大学の脇に、シンプルなデザインの出入り口があります。(左写真)
現在では、これが駅の入口と気がつく人はほとんどいないだろうと思いますが、昔は、上野動物園に行く客は、この出入り口を利用した人も多かったと思います