これは、ほとんどの人が気がつかないと思います。
今日は、ほどんの人が気がつかない「さくらぎばし」石碑と「上野動物園旧正門」を紹介します。
【「さくらぎばし」石碑】
小さな石碑は、道路脇の空き地にあります。よくみると「さくらぎばし」と書かれています。
昔は、東京都美術館の北側には、水路がありました。その水路にかかっていた橋が「さくらぎばし」だそうです。
この石碑は明治9年4月30日、吉川黄雲という人の書により設置されたそうです。
「さくらぎばし」の石碑の奥をのぞいて見ると、東京芸術大学と上野動物園の間に、現在も水路の跡があります。
これは、千川上水の余水を流したものだそうです、
千川上水は、玉川兄弟によって貞応2年(1653)に開設された玉川上水を分水したもので、元禄9年(1696)に開設されました。
玉川上水からは保谷新田から分水されました。
千川上水は、小石川御殿、湯島聖堂、寛永寺、浅草御殿に給水するためでしたが、その後、正徳4年(1714)に白山御殿へも給水することになりました。
それと同時に小石川、本郷、浅草あたりの武家屋敷や町方にも給水しました。
この千川上水は享保7年に廃止されました。その後,天明元年(1781)に復活したものの、天明6年(1786)再び廃止されました。
しかし、江戸の上水としては廃止されましたが、千川沿いの村々には灌漑用水として使用されました。
【上野動物園旧正門】
東京都美術館の裏側に「上野動物園旧正門」があります。
昔の上野動物園の正門が残って言いることを知っている人はあまりいないだろうと思います。
この正門は明治44年に建てられたものです。
現在は、一般には使用されていませんが、皇族方が来園する際には開門されるそうです。
左右にあるのは門番の小屋で、先にあるのが切符売り場です。
ちなみに正門の名称は、この門だけにしか使われていないそうで、現在、チケットを販売している上野公園に面した門は「表門」と呼ばれています。
【藤堂家墓地】
旧正門から、動物園の中を見ると、少し先に、墓地が見えます。
上野動物園はもともと藤堂高虎の下屋敷に建てられた藤堂家の菩提寺「寒松院」があった場所に開設されました。
動物園の中に見えるのは藤堂高虎と藤堂家累代のお墓です。
東西約26m、南北約38.5m石塀に囲まれた敷地に、大小17基の墓が並んでいるそうです。
墓地西側、東に向かって累代当主の墓9基が並んでおり、藤堂高虎はその中央に眠っているそうです。
藤堂家の墓地は動物園内にありますが、一般の人は入れません。