今日は、その池田屋の一本南側の通りにある 「酢屋」 について書いていきます。
酢屋といって、すぐに名前が思い出せる人は、幕末好きか坂本龍馬好きな人でしょう。
酢屋は、坂本龍馬が起こした「海援隊」の京都の拠点でした。そして、坂本龍馬もよく出入りしていた「材木商」です。
その「酢屋」が現存していました。石碑があるだけと思っていたので、正直驚きました。酢屋は、初代酢屋嘉兵衛が享保6年に創業した材木商で、創業以来280年つづくそうです。
初代から「酢屋」という屋号で材木商を営んでいたそうです。現在で10代目だそうです。
現在は、「株式会社 千本銘木商会」とういう会社になっています。
幕末、坂本龍馬を庇護したのは、六代目嘉兵衛です。
酢屋は材木業を営む傍ら、角倉家より大阪から伏見、そして京へと通ずる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業をもしていました。
当時、酢家の前には高瀬川の舟入があり、高瀬舟が出入りしていたそうでうす。
現在の酢屋は、一部改築されていますが、基本は坂本龍馬が使用していた幕末時代のものを継続しているそうです。
1階は売店になっていて、 2階の龍馬が利用していた表西側の部屋は、現在、「ギャラリー龍馬」として使用されてています。2階も改築されているので、幕末当時そのままではありませんが、当時の面影を残す2階の格子から向いの舟入(現在はビルが建っていますが)にむけて龍馬がピストルの試し撃ちをしたそうですよと担当の方が説明してくれました。
ギャラリー龍馬は、料金500円でした。館内は撮影禁止で展示物は撮影できませんでした。
通常のギャラリーでの展示物はみるべきものは多くありませんが、第26回の龍馬追悼展が平成23年11月3日(木・祝日)~11月30日(水)に開催されますが、この時には、龍馬暗殺の日を含む時期の海援隊の日誌などが公開されるそうです。
赤印が「酢屋」、青印が「池田屋の跡」です。 池田屋跡の一本南側の小路にあります。

