黒幕は薩摩藩だと言うのが百瀬明治氏でした。黒幕はズバリ言って大久保利通だと言うのが山村竜也氏の説でした。
しかし、両氏とも直接の実行犯ははっきりさせていませんでした。
この実行犯は高台寺党だという説が作家の大浦章郎氏です。しかも黒幕は大久保利通です。
大浦章郎氏の結論は
標的は坂本龍馬
実行犯は、伊東甲子太郎の配下
黒幕は、筋書を木戸孝允が書き、大久保利通が伊東甲子太郎に要請、 実行指令は伊東甲子太郎が出した。
というものです。
大浦氏は、大政奉還後の政局は、慶喜派と勤皇派が競い合い、勤皇派も武力革命派と平和革命派に分かれて競い合っていた。
坂本龍馬は、徳川家擁護論者であり、幕府幹部や親徳川諸侯が龍馬暗殺を指令することはありえない。
一方、長州の木戸孝允、薩摩の大久保・西郷は武力倒幕革命を考えており、龍馬の存在は目障りだったろう
と考えています。
【筋書は木戸孝允、黒幕は大久保利通、下手人は伊東甲子太郎一派】
薩摩藩は、薩長同盟とともに平和革命路線の土佐藩とも盟約を結んでいました。
これに対して不快感を感じた長州の木戸孝允は、龍馬をどうするのか西郷隆盛にねじ込みます。
処置に困った西郷隆盛は大久保利通に相談します。
大久保利通は、中村半次郎を通じて、伊東甲子太郎を知っていたので、伊東甲子太郎に「龍馬を武力革命側に説得してもらいたい。説得できなくてもせめて12月初旬には京都にはいないよう仕向けたもらいたい」と依頼します。
そして、それらがうまくいかなかった場合には、暗殺もやむ得ないことを示唆します。
伊東甲子太郎は、新撰組に参加したものの、その頃は新撰組から分離し、同志10数人と高台寺党を名乗っていました。
大久保利通の依頼を受けた伊東甲子太郎は龍馬を訪問し説得しますが、失敗します。
そこで、京都を離れることも勧告しますがこれも失敗します。
そのため、伊東甲子太郎は最後の決断をせざるをえなかったと大浦氏は推測しています。
大浦氏は、最後に、「筋書は木戸孝允、黒幕は大久保利通、下手人は伊東甲子太郎一派だ、というのが私の論である。」と念押しています。

