今日は、境内にある「奇縁氷人石」「撫で牛」「表鳥居」について書いてみます。
【奇縁氷人石】
社殿の前の梅林の中に「奇縁氷人石」と刻まれた石柱があります。
これは、江戸時代の迷子情報を交換するための石柱です。
この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されています。
これは迷子がでたとき、迷子の名や特徴を書いた紙を右側に貼って探し、迷子がいた時、その子の特徴を書いた紙を貼って探している人に知らせた「迷子しらせ石標」です。
こうした石柱は、江戸時代に人通りの多い所に建てられました。
現在も日本橋の一石橋の南のたもとに残っていますし、浅草寺には、本堂の南西側に、江戸時代に建立され戦災で壊れたものが復元されています。
この「迷子しらせ石標」があることからも、湯島天神が人で賑わい、江戸有数の盛り場であったことがわかります。
【撫で牛】
ほとんどの天神様に、牛の像がおいてあります。
湯島天神にもあります。撫で牛と呼ばれています。
天神様と牛とは切っても切れないものがあり、古くよりいろいろな言い伝えがあります。
まず菅原道真は、丑の年に生まれ、丑の日になくなったため、牛と縁が深いと言われています。
また、道真はなくなる時に、「自分の遺骸を車にのせて人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言をし、その牛が動かなくなった場所を墓所にしたといわれています。
そこに建てられたのが大宰府天満宮です。その他いろりろな言い伝えがあるようです。
こうしたころから天神様と牛は切ってもきれない関係になりました。
【表鳥居】
社殿の南側に、江戸時代の建立の鳥居があります。
この鳥居は銅製で、寛文7年(1667)に建立されて、その後、数回にわたり修理されたことをしめす刻銘が、社殿に向かって右側の柱の基部にあります。
鳥居の様式は神明鳥居といわれるものです。
鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mあるそうです。
昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定されています。