その名残が、東大の中にあります。
今日は、大正15年まで、前田家のお屋敷であった「懐徳館」についてご紹介します。
【大正15年まで、前田家邸宅は、本郷キャンパス内にあった】
前田家は明治以後も加賀藩邸の南西の隅に屋敷を構えていました。現在、医学部一号館や理学部二号館などがある地区が前田家のお屋敷でした。
敷地内には和風の屋敷と庭、18棟の家作、畑などがあったようです。広さは、約1万坪はあったとのことです。
しかし、関東大震災後に東大がキャンパスを拡充をすることになりました。
そこで、大正15年8月、駒場にあった当時の東京帝国大学農学部の一部と土地を交換をして、前田家は駒場に移りました。
交換当時には、明治38年に竣工した和館と明治40年に竣工した西洋館がありました。
この建物は都内各所の華族などの邸宅のなかでも第一級のものでした。
明治43年7月には、8日に明治天皇の行幸、10日昭憲皇太后の行啓、13日皇太子・皇太子妃(後の大正天皇・皇后)の来臨があったそうです。
東大に寄贈されてからは「懐徳館」と名前を変え、東大の迎賓館として使用されていました。
この名前は、論語の「君子懐徳(くんしはとくをおもう)」に由来します。
しかし、和館・洋館とも昭和20年の東京大空襲によって炎上・消失してしまいました。
現在の懐徳館和館は戦後早々に再建されたもので、東大の迎賓館として利用されています。
【懐徳館庭園】
明治43年の明治天皇の行幸に合わせて、日本庭園が整備され、懐徳館庭園(懐徳園)はこの時に現在の姿となりました。
庭園内には、明治天皇行幸記念碑が建っているようです。しかし、一般公開されていませんので、左の写真は、懐徳館の外から撮った庭園です。
この「懐徳館」は年に1回、ホームカミングデイに一般公開されます。見学無料だそうです。
東大の今年のホームカミングディは10月29日(土)に開催されます。
一方、駒場に移った前田家では、当時の当主だった旧前田家の前田利為侯爵が、昭和4年に洋館を、昭和5年には和館をそれぞれ建築しました。
戦後は連合軍極東軍司令官の官邸などに使用された後、屋敷跡は駒場公園として整備されてています。
平成19年には、「旧前田侯爵家駒場本邸」として東京都指定有形文化財に指定されました
また、農学部は昭和10年には、第一高等学校との敷地交換により、農学校以来の所在地である駒場から現在のキャンパスに移転していした。

