今回のガイドは、大先輩の一期合格のM御大とブロ友でもある月猫女史のお二人でした。
浅草寺町は、明暦の大火後、移転したお寺が数多くある地域で、数多くのお寺をお参りし、江戸にゆかりの人のお墓参りをさせていただきました。午前10時半に東京メトロの田原町駅に集合した後、田原町から稲荷町の北部を午前中に、午後は、稲荷町駅で午後から参加する人たちを加えて、南部地区を散歩しました。
天気にめぐまれ、汗をかきつつ、 新しい発見もあり、楽しい会話もあり、楽しい一日を過ごしました。
参加した皆さんお世話になりました。そして案内してくれたM御大と月猫さんに感謝します。
数多く廻った寺院・神社の中でいくつかをご紹介しておきます。
【矢先稲荷神社】
午前中に廻った中に、「矢先稲荷神社」があります。
この神社は、江戸時代にここに三十三間堂がありました。その通し矢の的があった場所に建てられたため「矢先」という名前がつけられたそうです。
この神社の社殿の天井に、100枚の馬の絵が書かれています。書かれたのは昭和になってだそうですが、歴史上の有名人が数多く書かれていておもしろいものでした。 上の絵は。左が徳川家光、右が徳川家康だそうです。
【伊能忠敬の墓 源空寺】
午前中の後半にお参りした源空寺には、日本地図を作成した伊能忠敬のお墓があります。伊能忠敬は、全国を測量し、歴史上はじめて国土の正確な地図「大日本沿海輿地全図」を作成しました。
伊能忠敬は50歳の時に、家督を長男に譲り隠居し、51歳の時に翌年江戸に出て、江戸幕府の天文方高橋至時に入門し教えを乞いました。
伊能忠敬がなくなる時に、「高橋先生のそばに葬って欲しい」という遺言を残しました。その遺言どおり、高橋至時のお墓の脇に、伊能忠敬のお墓があります。
また、近くには、シーボルト事件で罰せられた高橋至時の子供、高橋影保のお墓もあります。
さらに、谷文晁や幡随院長兵衛のお墓もすぐ脇にあるためお参りした。
【下谷神社】
午後最初にお参りした「下谷神社」は、下谷稲荷様とよばれ、稲荷町の由来にもなった由緒ある神社です。
この社殿の天井には、横山大観の書いた龍の図があります。神社の好意により、社殿に昇らせていただき拝観しました。この龍の絵は昭和9年にかかれたものです。
横山大観の竜の絵は、大正から昭和初期に確立したと考えられているそうで、この下谷神社の天井画はその時期に当たっており、貴重なもので台東区の登録文化財になっています。
木の板にかかれた物で、大変迫力がある絵でした。
【葛飾北斎の墓 誓教寺】
有名な葛飾北斎のお墓が、「誓教寺」にあります。葛飾北斎は長生きし、嘉永2年(1849)に数え年90歳でなくなりました。
墓碑には「画狂老人卍」と書かれています。
そして、墓石の脇には、辞世「人魂で 行く気散(きさん)じや 夏の原」」が刻まれています。
この他、島田虎之助、玉川兄弟、柄井川柳、宿屋飯盛など大勢の江戸にゆかりの人のお墓をお参りすることができました。
この浅草寺町の詳しいご案内はいつかできるだろうと思います。
今日は、とりあえず定例会の参加レポートです。
赤印が矢先稲荷神社、 緑印が源空寺、 青印が下谷神社、 紫が誓教寺 です。

