芝では増上寺があまりにも有名ですので、芝と言えば増上寺ということになりますが、増上寺は大寺院であったため、数多くの子院を持っていました。
その子院は現在も増上寺周辺に残っています。
その中には、江戸時代の名残が残る史跡や文化財もあります。
そんな寺院を訪ねていきます。
今日は、JR浜松町駅から増上寺に向かう途中の寺院を紹介します。
増上寺の手前北側に「常照院」というお寺があります。
浜松町駅から徒歩で10分程度の所です。
今日はその 「常照院」 です。
【常照院本堂内陣】
常照院の開創の年ははっきりしないそうですが、増上寺移転前から芝浦にあったようです。
そして、増上寺の芝移転に伴い増上寺の子院となりました。江戸時代には肥前鍋島藩などの宿坊でもあったようです。
常照院のご本尊は善光寺如来の一光三尊阿弥陀如来です。
ご本尊を祀る本堂内陣は、江戸時代は「あかん堂」と呼ばれていたいました。
ご本尊が秘仏であって開帳せず、そのため「あかん堂」と呼ばれたとも、赤い堂がなまって「あかん堂」といわれたとも伝えられているとのことです。
元禄10年(1697)3月29日、桂昌院が増上寺参詣時には、「あかん堂」に参詣したこともあるようです。
宝暦12年(1762)2月16日の大火で焼失した後、明和6年(1769)再建されました。
関東大震災や昭和20年(1945)5月25日の空襲に遭いましたが、奇跡的に本堂内陣(あかん堂)だけは焼失を免れ平成13年国の登録文化財となりました。(右写真が本堂外観)
当日はご住職が不在のため拝観できませんでした。
【白子屋お熊の墓】
南町奉行大岡忠相の名奉行ぶりを描いたのが「大岡政談」です。
しかし、この「大岡政談」のほとんどの話は、大岡越前守忠相とは関係がないのです。
「大岡政談」のなかで大岡越前守忠相が唯一裁いた事件が「白子屋お熊」の1件です。白子屋お熊」の事件というのは、日本橋の新材木町に白子屋のひとり娘お熊が、浮気相手の手代忠八と母お常と共謀し婿の又四郎を殺害しようとした事件です。
この事件をもとにした浄瑠璃・歌舞伎の演目「恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)」は当時話題となりました。
その白子屋お熊の墓石の一部が現存しています。
写真左がお墓、中央が供養之碑、右が説明の石柱です。
【市川団十郎寄進の水鉢】
江戸時代は市川団十郎家の菩提寺だそうです。
境内に七代目団十郎が寄進した石の水鉢などが残っています。
水鉢をよくみると、市川団十郎家の紋である三枡紋が刻まれています。(下の右写真)


赤印が常照院です。増上寺の東側にあります。

