丸山古墳は 都内最大の前方後円墳です。5世紀ごろに築造されたものと言われています。
この古墳は、都心における小さな山であり、緑も一杯あります。
この丸山古墳には、古墳自体のほかに紹介するものがあります。
【伊能忠敬測地遺功表】
丸山古墳の頂上には、「伊能忠敬測地遺功表」があります・
これは、日本全国を測量し、はじめての日本地図「 」を製作した伊能忠敬の功績をたたえたものです。
明治22年に東京地学協会が建てたものを、昭和40年に再建したもののようです。
ここに建てられたのは、伊能忠敬が測量を開始する起点となったのが高輪大木戸であったことによるようです。
【丸山貝塚】
丸山古墳の頂上に登る途中に「丸山貝塚」の説明板があります。
平成9年の調査によると、貝塚は丸山古墳がある台地の裾の海抜4メートル程の緩やかな傾斜面に形成されていることがあきらかになったそうです。
また、出土した土器から縄文時代後期の貝塚であること可能性が高くなったそうです。
【銀世界の梅】
丸山古墳の山麓の芝公園を歩いていたら、「銀世界の梅」と書かれた石碑を見つけました。
その脇に説明板があい次のように書かれていました。
「この梅林は、今の新宿区西新宿三丁目の東京ガス敷地にあったもので、江戸時代は、「梅屋敷銀世界」と言われていたものを、明治41~42年ごろ16号地グランドの西側に移植されたが、道路拡張にともない、昭和41年にこの1号地に移されました。
梅林には、2代将軍秀忠のお声がかりの梅も移植されていたそうですが現在はありません。
この石碑は、琉球の棟応昌の筆によるもの、梅屋敷内にあったものです。」
石碑には、天保3年12月吉日と建立された時期が刻まれていました。