「心光院」もまさに東京タワーの真下です。今日は、この「心光院」のお話です。
「心光院」は都営大江戸線「赤羽橋」駅から5分の距離にあります。
東京メトロ三田線の「御成門」駅からだと10分弱かかります。
【心光院表門】 心光院は、増上寺が貝塚にあった頃の学寮だったということです。
増上寺が芝の現在地に移転した後、元禄8年(1695)に子院となりました。
現在地には、昭和25年に移転しました。
この心光院の表門は、国の登録文化財に指定されています。
表門の建築年代ははっきりしませんが、18世紀頃に建立されたものと推定されています。
一間一戸の四脚門で、切妻、本瓦葺きです。
右の写真が表門ですが、朱塗りの門です。
そして、心光院が東京タワーの真下にあることがよくわかるだろうと思います。
【お竹の流し板】
ここには、お竹如来の像とお竹の流し板が祀られた大日堂が本堂の脇にあります。
左の写真が大日堂です。お竹については、次のようなお話が伝わっています。
お竹は大伝馬町の名主の佐久間前善八の下女でした。
日頃から信心深く、米粒一つたりとも粗末にすること大切にし、乞食や犬猫に施しをした善人でした。このお竹は大日如来の化身であったとも言われています。
お竹大日如来については以前書いていますので、 お竹大日如来(人形町散歩④) もご覧ください。
大日堂には、お竹が使用していたと言われる流し板が5代将軍綱吉の生母である桂昌院が寄進したと言われる箱に納められています。
正面にあるのがお竹如来像で、その右脇にある三つ葉葵の紋がついた箱に流し板が収められているといいます。
箱には、「お竹大日如来水板」と書かれていました。
【浮世絵に書かれたお竹大日如来】
お竹大日如来は歌舞伎に取り上げられたり、多くの絵師により浮世絵に描かれています。
左の浮世絵は歌川国芳が描いたものです。その絵には上段の説明書きの部分に次のような説明が書かれています。そもそもお竹如来は、武州豊島郡宝田に佐久間某といふ富家に召仕ふ所の婢女(はしため)なり、生質(うまれつき)正直にして偽りかざるつことなく、朝夕主に仕ふるに身をいとはず、その賢きこと一を聞いて十を知るに至る、常に三宝を帰依して魚肉五辛を断ち、清浄儼固(しょうじょうけんご)にして神仏をとうのみ、いささかの物たりともすたることをいとい、第一(だいいち)食は人命をつなぐ宝なりといいて、米粒一粒なりとも仏舎利のごとく貴(とうと)み、井戸ばたなどに人の炊(かし)ぎし米散りてあれば、一粒づつ戴(いただ)いてこれを拾い、不断(ふだん)、流しの末に袋をかけおき、これに止まる所の食を己が自活の料とし、日々三度我が食する分量のものは、乞食非人などに是を施すこと常なり、斯(かく)のごとくなる故に、即身大日如来とあらわれ給う、今猶(いまなお)、羽黒山黄金堂に安置し奉る尊像は則(すなわち)これなり
赤印が心光院です。

