火消というと町火消が有名ですが、その他、大名が担当する「大名火消」、旗本が担当する「定火消」もあります。
定火消は、明暦の大火の翌年の万治元年(1658)9月に設置されました。
旗本4名が定火消役を命じられ、御茶ノ水、小石川伝通院前、麹町半蔵門外、飯田町に火消屋敷が設置されました。

そして、元禄8年(1695)に、さらに5組増設され、合計で15組となりました。
しかし、宝永元年には、5組減らされ10組となりました。その後、幕末まで10組が維持されました。
そのため、定火消は10人火消とも呼ばれます。
上の写真は、消防博物館に展示されていた定火消の装束です。(左が夏の装束、右が冬の装束です。)
定火消の火消屋敷は、消防博物館によれば
①飯田町、②四谷御門内、③小川町、④赤坂御門外、⑤市谷左門坂、⑥駿河台、⑦半蔵門御門外、⑧赤坂溜池、⑨お茶の水、⑩八代洲河岸 にありました。

これらの火消屋敷が江戸城北西部に重点的に置かれているのは、江戸の火災が北西の季節風の激しく吹く冬に多発していたことに関係しています。
この地域から出火した場合、江戸全域が風下となって大火に発展する危険が大きく、江戸城も危険にさらされるからです。
これから順に、この定火消屋敷跡が現在どうなっているか訪ねていきます。
ただし、上の番号の順ではありませんので・・・・