今日と明日は、西武池袋線「石神井公園」駅が最寄り駅の札所2ヶ寺をご案内します。
16番札所の三宝寺と70番札所の禅定院の2ヶ寺です。
今日は、「三宝寺」です。御府内八十八か所巡りの十六番札所です。
「三宝寺」は石神井公園駅から距離で1.5キロあります。歩くと約20分かかりますので、バスを利用するとよいと思います。
【三宝寺の由来】
三宝寺は、山号を亀頂山(きちょうざん)といい不動明王を本尊とする真言宗智山派のお寺です。
三宝寺は南北朝時代の応永元年(1394)、鎌倉大楽寺の権大僧都幸尊(ごんのだいそうずこうそん)が開山したと伝えられています。
亀頂山という山号は霊亀状丘陵の頂点たる景勝を嘉して名付けられたと伝えられています。
文明9年(1477)石神井城落城の後、太田道灌が現禅定院(東方約500メートル)付近から石神井城の跡にあたる現在の地に移ったといわれています。
その後は、後北条氏や徳川氏からも保護を受け、江戸時代には近くに数十の末寺をもっていたと云います。
本堂(上写真)は、昭和28年に再建されたものです。
【大師堂】
本堂の裏手に「大師堂」(右写真)があります。
大師堂は、昔は経堂と呼ばれていた一切経などを納めた経蔵でした。
ここに千体地蔵と弘法大師を安置していたので専ら大師堂と呼ばれました。
近年までは朱塗りの小堂だったそうですが、昭和42年に改築された後、平成4年に現在地に移築されたものです。
【守護使不入の石碑】
表参道に「守護史不入」(しゅごしふにゅう)の石碑が建っています。 左の写真の右手の石柱です。
「守護史不入」とは、 守護の徴税使であっても入れないことを示しています。
この石碑がいつ建てられたものか、石碑に年号を探しましたが年号は刻まれていませんでした。
【御成門】
「御成門」ともいわれる山門(右写真)は、三代将軍家光が狩りをした時、ここを休憩所としたことからこのように呼ばれるようになりました。
棟札によると、三宝寺23世の宥泉和尚が再建したもので、文政10年(1827)7月26日に竣工したものです。
練馬区の登録有形文化財です。
江戸時代は、平常は門扉を閉ざして庶民の通行は禁じていたと言われています。
【鐘楼】
鐘楼は昭和49年に改築されたもののようですが、梵鐘は、江戸時代の延宝3年(1675)に鋳造されたもので、増上寺の大鐘を鋳た時、その余銅をもって造ったと伝えているそうです。
練馬区の指定有形文化財です。
【勝海舟の屋敷の長屋門】
山門の東側にある長屋門は、練馬区旭町兎月園にあった勝海舟の屋敷門が所有者の明電舎の事情により取り毀しになるところ、当時の練馬区長のあっせんで昭和35年11月解体移築されたものだそうです。
兎月園というのは東武鉄道の創設者根津嘉一郎により大正13年に開設されたレジャー施設だそうです。
三宝寺の裏手には、石神井城の跡があります。石神井城は室町時代まで武蔵国豊島郡で勢力を持っていた豊島氏の拠点です。
文明9年(1477)、太田道灌に攻められ落城しました。
また三宝寺の東隣りは、豊島氏の菩提寺である道場寺があります。
今回は、石神井城跡や道場寺を観ることができませんでした。いつか時間をとってゆっくり回りたいと思います。
赤印が三宝寺です。石神井小学校が目安になります。