本丸御殿の玄関は大きな唐破風屋根になっています。開口部は間口13間もあります。
その玄関をあがると正面が大広間です。
大広間は撮影禁止ですので、廊下から撮影した写真が下の写真です。
写真右手の部屋が大広間です。
ここは36畳の広さがあり本丸御殿で2番目に大きい部屋でした。
江戸時代には、来客が藩主に謁見するまでの間、ここに待機していたと考えられています。
藩主への拝謁は大書院で行われたようですが、大書院は現存している建物の南側にありましたが、明治になって解体され現在は残っていません。
【本丸御殿の『明治以降の歴史】
川越城の本丸御殿は、明治以降、いろいろな用途に利用されてきました。
明治以降、玄関・大広間部分は入間県の県庁舎として利用され、入間県が熊谷県と合併して埼玉県になった際には入間郡公会所になりました。
更に大正7年には煙草専売局淀橋支局川越分工場として煙草工場へと転用されました。
そして、昭和8年には川越地方武道奨励会の修練道場となり、名称も初雁武徳殿になりました。
戦後は川越市立第二中学校(現在は初雁中学校)の屋内運動場や校舎やとして使用されました。
しかし、このようにいろいろな用途に活用されたため残されたという面があります。
大広間が屋内運動場として利用されたこともあるため、昨日のコメントでハカマオーが書いてくれたように天井にはバレーボールのあたった跡がクッキリと残っています。
バレーボールの跡を撮影しようと思いましたが、大広間は撮影禁止ですので撮れませんでした。
【本丸御殿の杉戸絵】
大広間の周囲には杉戸絵が描かれています。 しかし、この広間だけが撮影禁止ですので、杉戸絵を撮影できませんでした。
右の写真は大広間の隣の部屋の「使者の間」の大広間との間にもいれられている杉戸絵の写真です。 「竹林図」と名付けられています
この杉戸に描かれた絵と同じような杉戸絵が大広間に描かれています。
下の写真は、使者の間の反対側の杉戸絵です。これも「竹林図」と名付けられています。
本丸御殿の杉戸絵を描いたのは、川越藩御用絵師の舩津蘭山(ふなつらんざん)です。
舩津蘭山の家系は代々武蔵国入間郡岸村(現川越市岸町)の名主でした。
絵は表絵師の狩野章信に師事しました。蘭山は岸村名主であったため職業絵師ではありませんでした。
しかし、比較的多くの絵が川越周辺に残っているそうです。
川越城本丸御殿内の杉戸絵は、松平斉典の命により、7年あまりにわたり画きあげたものです。
現在14枚22面の杉戸絵が本丸御殿に残っているそうです。
【家老詰所】
本丸御殿の一部であった家老詰所は、江戸時代は大広間西側から西に延びる大廊下の先にありました。
家老詰所は、明治5年に福岡村(現ふじみ野市)にある星野家に払い下げられ、解体移築されていました。
それが、昭和63年に移築復元されたものです。
家老詰所の建物は家老詰所(十畳)年寄詰所(8畳)記録方詰所(12畳)などがありました。
写真は家老詰所の様子です。人形たちで家老たちが用談している様子が描かれています。
【「JIN-仁-」出演者のサイン】
昨年、ドラマ「JIN-仁-」がヒットしました。私も後半は欠かさずに見ました。
読者の皆さんもご覧になった方がいらしゃると思います。
その「JIN-仁-」の撮影にこの本丸御殿が使われたそうです。
ドラマ前半で川越城での会議のシーンがあったそうですが、それが大広間で撮影されたんだそうです。
第4話の台本が展示されていたので、第4話ではないかと思います。
御殿内にはドラマ「JIN-仁-」のポスターが貼ってありました。
そして、その下には出演者のサインがありました。
左が大沢たかおさん、真中が綾瀬はるかさん、右が桐谷健太さんのサインです。