徳川実紀は本編と付録に分かれています。
付録は、各将軍の言行録であり逸話を収録したものです。
「東照宮実紀」は本編10冊、付録15冊となっています。
「東照宮実記」を現代語訳した「家康公伝」は、付録部分は「家康公伝3」と「家康公伝4」に収録されています。
とりあえ家康公伝3」を読んでみましたが、本編よりおもしろいという感想を持ちました。
「家康公伝3」には、付録巻1~巻8まで収録されています。
付録各巻の内訳は次のようになっています。
付録巻1は家康の幼少から桶狭間の戦いまで
付録巻2は、三河一向宗徒との戦いから三方ヶ原の戦いまで
付録巻3は 信玄の野田城攻めから武田家滅亡まで
付録巻4は本能寺の変から小牧長久手の戦いまで
付録巻5は秀吉の小田原城攻めまで
付録巻6小田原落城から家康の関東移封まで
付録巻7朝鮮出兵のため肥前名護屋に赴くまで
付録巻8は京伏見の大地震から関ヶ原の戦い
巻1は、家康の幼少の頃のことが書かれています。
付録に書かれている逸話でおもしろいと思ったできごとを3つ書いてみます。
1、家康石打を観る。
駿河の今川氏にいた頃、石打ちと言う児童の遊びを見に行った時に野こと、一方は300人ほど、もう一方は14、50人はどでした。
多くの人は、多勢のほうが勝と予想していました。しかし、家康は小勢の方に行きました。
間もなく打ち合いが始まると、多勢の方は少しも持ちこたえられず、逃げ散りました
このことを聞いた人たちは年の程にも似つかわしくない聡明さだと感心したそうです。
2、義元、感心する。
家康が元服した時に、家康は義元に対して「私は15歳になりましたが、本国の祖先の墓参りをしていません。故郷に帰り、亡き親の法要を営み、松平家の家人とも対面したいと言った。義元も孝心の深さに感心して許しました。
家康は大変喜び急ぎ三河にお帰りになって御先祖の追善供養など取り行い、ご家人も大変喜びました。
岡崎に移った際も本丸に入らず二の丸に入り本丸の指示を受けまっしょうと言ったので、義元は大いに感心したとのことです。
3、鳥居忠吉、密かに米銭を貯える。
この際に、岡崎城の留守をしていた鳥居忠吉は、家康に蔵を開けて見せて、「私が長年今川の人々に内緒でこのようなことをしましたのは、君(家康)がすぐにでも帰国され出馬されるときには、御家人をはぐくみ、軍用にも事欠かないようにするため。このように備えていました」と涙を浮かべて言いました。
これを聞いて、家康は忠吉の長年の忠義心と資材まで用意していたことに感動し、厚くねぎらったそうです。