従来の定例会は、浅草とか品川とか地区別に史跡をめぐる散歩でした。
今回の定例会は、従来と異なり、テーマに沿って、史跡をめぐる散歩でした。今回のテーマは「鬼平と勝海舟の住まい巡り」というテーマで、鬼平こと長谷川平蔵と勝海舟のゆかり地を訪ねる散歩でした。
今回の案内人は、 鬼平に憧憬の深い秋山太兵衛氏です。
実におもしろい説明で勉強になりました。秋山さんありがとうございました。
今回のコースは、地下鉄移動を織り込んで、概ね次のようなコースでした。
赤坂 ⇒ 鉄砲洲 ⇒ 石川島 ⇒ 森下 ⇒ 菊川 ⇒ 本所 ⇒ 錦糸町
上写真は、赤坂のBizタワーの前で今日のコースの説明を受ける参加者です。
【鬼平誕生の地】
最初に案内してもらったのが、鬼平の生まれた場所です。
当時は赤坂築地と呼ばれたようですが、現在は港区赤坂6-11あたりです。 道路脇のビルとなっています。ところで、鬼平は単に長谷川平蔵と言われますが、長谷川平蔵は5人いました。
鬼平は長谷川平蔵宣為(のぶため)と言い、父は長谷川平蔵信雄と云いました。 父の宣雄も火付盗賊改を勤めました。
そこで長谷川平蔵と書くと紛らわしくなるので、長谷川平蔵宣為は鬼平と書きます。
鬼平は延享3年(1746)に生まれました。そして5歳まで、ここで過ごしたそうです。
【鬼平揺籃の地】
その後、転居したのが、鉄砲洲稲荷神社の近くです。そこで、赤坂から八丁堀まで地下鉄で移動しました。
鉄砲洲稲荷の南側の拝領屋敷で、鬼平は5歳から19歳までここで過ごした揺籃の地だそうです。長谷川家は、三方ヶ原の戦いで亡くなった長谷川正長が初代と言われています。
その長谷川正長の三男の家系が、鬼平の流れです。
本家は1450石の大身旗本ですが、鬼平の家は分家であるため400石でした。
【鬼平屋敷の跡】
その後、鬼平が19歳から亡くなるまで住んでいたのが本所です。都営地下鉄「菊川」駅の近くにあります。
鉄砲洲からは石川島に渡り、「月島」駅から地下鉄で移動しました。
鬼平は、42歳で火付盗賊改の助役となり、翌年火付盗賊改の本役となりました。ここが火付盗賊改の役宅となった場所です。
ここで取締りの指揮をとったのでした。
鬼平は、火付盗賊改を8年間も勤めました。
こんなに長く勤めたということは、鬼平の能力の高さを表していると思います。
この屋敷、 鬼平の子宣義の時代に、遠山金四郎の屋敷になっています。
時代劇の有名人が同じ屋敷に住んでいたことにビックリです。
ここだけは、説明板がありました。
【石川島の人足寄場の跡】
こちらは、石川島の灯台前で、人足寄場について説明を聞く参加者たちです。
鬼平は、江戸の犯罪を減らすためには無宿人対策が必要と考え、人足寄場の設立を、時の老中松平定信に具申します。そして、石川島に設立されることとなり、鬼平自身が責任者となって運営にあたりました。寄しくも定例会の日つまり2月19日は、人足寄場の設立が決定した日だと聞いてみんな驚きました。
さらに2月19日は設立記念日として人足寄場では休日だったという説明があり、二度ビックリでした。
最後におまけです。
先週の「ブラタモリ」を見た方もいらっしゃると思います。前回は「江戸の運河」でした。
番組の中で、六間堀が埋め立てられた話がありました。その六間堀は森下駅の近くでした。そこで、秋山氏、わざわざ六間堀跡を通ってくれました。
その時、ブラタモリに出ていらっしゃたカサイ商店の奥様に逢うことができました。
下町の人らしく気さくで親切でした。
タモリさんは突然訪ねてこられたんだとか、久保田アナは、映像でみるよりずっときれいでしたなどのお話を聞くことができました。
奥様、ありがとうございました。東京を歩いていると時にはこんな出会いがあります。
明日は、勝海舟ゆかりの地のお話をします。

