人気ブログランキング | 話題のタグを見る
秀忠遅参① (徳川将軍15代)
 徳川四天王について書きましたが、関ヶ原の戦いに秀忠が遅参したことが出てきましたので、秀忠はどのように行動していたかについて書いてみます。

 上杉討伐に出向いた家康に、上方で石田三成が兵を挙げたことが伝わりました。
秀忠遅参① (徳川将軍15代)_c0187004_10185864.jpg 7月24日には有名な小山評定が行われ、兵を返すことが決まりました。
 (右写真は、小山の須賀神社です。須賀神社の境内で小山評定が行われたと言われています。)
 家康は、豊臣恩顧の諸大名とともに東海道を西上することになり、秀忠は中山道を西上することになりました。
 秀忠軍は榊原忠政、本多正信、大久保忠隣が補佐し、酒井忠世、青山忠成、内藤清成、本多忠政、牧野康成、戸田一西(かずあき)など総勢3万8千の大軍でした。
 一方、真田昌幸は、会津討伐軍に従軍していましたが、7月21日に石田三成からの密書を受け取ると、宿営地の犬伏(現在の栃木県佐野市)で、長男信幸、次男幸村と話し合い、昌幸と幸村は石田方につき、信幸は徳川方につくことにしました。これが有名な犬伏の別れです。

 秀忠軍は8月24日に宇都宮城を出発し上方に向かいました。
 1ヶ月も小山にいたのは、上杉景勝に対する処置をするためだったようです。 
 小山を出発した秀忠軍は、9月1日に軽井沢に着きました。そこで、中山道から外れて北に向かいました。
 上田城に陣取る真田昌幸を降伏させるためです。そして、9月2日に小諸城に入り、秀忠は、まず真田昌幸を降伏させようと、信幸を使者として上田城に送りました。すると、昌幸は開城する旨を申し入れてきました。(左下写真は現在の上田城です。)
秀忠遅参① (徳川将軍15代)_c0187004_10191767.jpg  しかし、実際には昌幸は降伏する考えはなく、籠城の準備の時間をかせぐため、秀忠を欺いて降伏するかのようにふるまっていただけでした。そして、準備が整った段階で、昌幸は、宣戦布告をしてきました。
 これに対して、怒った秀忠は9月5日に上田城への攻撃命令を下し、上田城の北にある戸石城を落としました。
 そして、9月6日には、徳川方の刈り田働きに怒って城をでた真田方を追撃した徳川勢が、上田城の大手門へと迫ったとき、、城内から真田勢が討て出て徳川軍を散々に打ち破りました。
  以後、籠城策をとる真田方に対して、徳川方は上田城を攻め落とすことができず、ようやく9月11日になって、上田城攻めを断念して上方に出発しました。
  こうした攻撃が失敗した要因は、①として真田昌幸・幸村の知謀が秀忠側を上回っていたこと ②として榊原康政や大久保忠隣が本多正信の入ることを快く思っていないと云う不協和音があったためだろうと静岡大学名誉教授の小和田哲男さんがいっています。
 
 9日間も足止めを食らっていた秀忠軍は9月15日行われた関ヶ原の戦いに間に合わず、9月17日木曽の妻籠で関ヶ原での東軍の勝利を聞きました。
 秀忠は合戦4日後の19日に赤坂に到着し、翌20日に草津に至り大津にいる家康に面会を求めましたが、家康は面会を許さず、諸将のとりなしにより23日になって、ようやく家康と面会ができました。
 ここについての話は明日書きます。
by wheatbaku | 2012-04-03 10:24 | 江戸検お題「徳川将軍15代」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
2024年 10月
2024年 09月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事