木目込人形の塚田工房さんは、京成線「押上」駅のA3番出口から徒歩10分です。
ここの御主人の塚田詠春(つかだえいしゅん)さんは、経済産業大臣伝統工芸士に認定されています。
木目込人形というのは、木彫りの胴体または桐塑で作った胴体部分に、布を貼り付けて、衣裳を着ているように見せる人形です。
桐塑というのはは、桐の粉末に正麩糊(しょうふのり)をまぜて作った 粘土の一種だそうです。
溝に布を埋め込むことを「木目込む(きめこむ)」というところから、木目込人形(きめこみにんぎょう)と呼ばれます。
木目込人形は、元文年間(1736年から1740年、8代将軍吉宗の時代)に京都の上加茂神社に仕える高橋忠重という人が祭りの残材に布を貼りつけて作った人形と言われています。
それが江戸に伝わりました。すでに正徳年間には多くの人形師が江戸に下ってきていて、江戸に伝わった木目込人形を制作するひとはいました。
そして、江戸が文化の中心地として発展してくるにつれて、木目込人形も江戸風に変化しました。
塚田詠春さんの話では、現在では、本家本元の京都では木目込み人形は制作されていないそうです。
江戸における木目込人形には、岡本玉水(ぎょくすい)の系統と名川春山(ながわしゅんざん)の系統の2系統があるそうです。
塚田さんは、苗字は違いますが、名川春山の子孫で、6代目となるそうです。
名川春山の初代名川岩次郎は、天保3年(1841)28歳のとき浅草須賀町の人形師瀬山金蔵より独立して、本所両国に創業しました。
そして、4代目春山が向島に住んで木目込人形を制作しました。4代目春山は数々の名作を制作したそうですが、工房内にもその一部が展示されていました。
右の写真が4代目春山が制作した人形です。
そして4代目の息子5代春山の甥が塚田詠春さんです。
詠春さんは、昭和24年に向島に生まれ、叔父の5代目春山の内弟子として修業し、昭和48年に現在地に独立し、平成13年に6代目春山を襲名したそうです。
現在、経済産業省伝統工芸士に認定されています。
木目込人形の原型は、木を彫ったものを使用する場合または「かま」と呼ばれる型に桐塑を詰めて作る場合があります。
木彫りでは大量生産できませんが、「かま」を使用することにより多少大量生産できるようになったようです。
右の写真の左部分にあるのが「かま」とそれを使用して作る胴体です。右側は「頭」の制作工程が展示されていました。
木目込人形で最も苦労をするのが、胴体部分のデザインだそうです。
こうして作った胴体に布を木目込むための溝を彫ります。そしてその溝に糊を入れ、型紙に合わせて切った布地の端を目打ちや木目込べらを使用してしっかり木目込みます。
ここでしっかり木目込むことがきれいな人形に仕上げるポイントだそうです。
そして木目込みを終えた胴体に、別に作った頭や手などを差し込み完了です。
工房内には、塚田詠春さんが制作した人形が展示されていました。
下見の時にはまだひな祭り近くでしたので雛人形が展示されていました(左上写真)。しかし、向島散歩本番の際には、季節の人形に変わっていました。(下写真)
木目込人形は、手作りであるため大量生産ができません。
従って、塚田詠春さんは人形問屋に卸してないので、買うには工房もしくはインターネットを利用してくださいということでした。
お邪魔した当日は、工房内で人形教室が開催されていて、受講生の方の人形制作ぶりも見せてもらいながらの説明でした。
お忙しいところにお邪魔したにもかかわらず丁寧な説明をいただきました。
塚田詠春さんありがとうございました。
赤印が塚田工房です。押上駅から歩いて10分程度です。