本日は「千姫の結婚」です。
家康は、慶長8年(1603)2月に将軍宣下を受け征夷大将軍になりました。
このことは、豊臣方に非常な衝撃を与えました。
そこで、家康がその衝撃を和らげるために行ったのが、秀頼と千姫との結婚です。
もともと秀頼と千姫は、秀吉の生前中の慶長3年(1598)病床にあった秀吉は、秀頼と千姫との婚約を結んでいました。
家康は、それを実行することにしたのです。当時、秀頼11歳、千姫7歳でした。
千姫は5月中旬に伏見城に到着しました。右写真は現在の伏見城です。
この時、母親の江は、身重ながら千姫についていっています。
江は、千のことを心もとなく思って大坂への輿入れについてきたと記録に残っているようです。
この頃は、家康は伏見城にいて、父秀忠は江戸城にいました。
諸大名は、秀忠も上洛するものと思っていましたが、秀忠は江戸に留まり上洛しませんでした。
そして7月28日には、千姫は伏見城を出た淀川を船で下り大阪城に向かいました。
江は、身重の身で千姫についてきていましたが、、日が経ち身重の身では江戸に帰ることがむずかしくなり、伏見城で7月9日に四女の初を出産しました。
生まれた女子(初)は、出産前に、江の次姉である初(後の常高院)との間で、生まれてくる子が女子であれば、初(常高院)の養女とする約束ができていたため、初(常高院)の子供として育てられました。
身重の身で、娘の輿入れのため、江戸から遠く離れて伏見までついてくる「江」の思いに驚かされます。
政略結婚でしたが、千姫と秀頼は、従兄妹どうしでもあったこともあり、仲睦まじく大坂城で暮らしていたようです。