岡崎は次のようないろいろな見どころがありました。
①家康を中心とした松平・徳川家ゆかりの地としての岡崎②江戸時代になっての城下町としての岡崎
③東海道の宿場町としての岡崎
④譜代大名の発祥地としての岡崎
これらの中で、今回は主に松平・徳川家ゆかりの地をしての岡崎の史跡を歩いてきました。
訪ねた場所は次の場所です。
岡崎城、
大樹寺(松平・徳川家菩提寺)、
大林寺(松平清康・広忠の墓)、
伊賀八幡宮(松平家氏神)、
滝山東照宮(三大東照宮)、
六所神社(松平家氏神)、
八柱神社(築山殿首塚)、
若宮八幡宮(松平信康首塚)、
西大平藩陣屋跡(大岡越前守ゆかりの地)
今日から順に紹介していきますが、まず岡崎城について紹介します。
現在の岡崎城は、昭和34年に再建されたもので、鉄筋コンクリート製3層5階です。
岡崎城を初めて築いたのは、三河守護代の後裔と言われる西郷弾正左衛門頼嗣(よりつぐ)で、享徳元年(1452)から康生元年(1455)に築かれたと言われています。
西郷頼嗣の城は現在の本丸の範囲程度と考えられています。文明年間の初め、頼嗣は松平信光の攻撃を受けた敗北しました。松平信光は、いわゆる松平8代のなかの3代目にあたる人物です。
松平信光は子供の光重を頼嗣の養子としました、これにより岡崎松平家が起立しました。
左上は大林寺にある西郷頼嗣の墓です。
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岡崎松平家の3代目にあたる松平信貞は、当時安祥城wを拠点としていた松平総領家の松平清康(家康の祖父)との戦いに敗れ大草にしりぞきました。その跡に安祥城から松平清康が入り、本格的な岡崎城を築きました。
左下は松平信貞の墓です。
西郷頼嗣の墓のある大林寺にあります。
その松平清康が天文4年(1535)に守山でなくなり、その子広忠が天文18年(1549)に亡くなる、岡崎城はと今川義元の支配下におかれ、永禄3年(1560)まで岡崎城には今川家の武将が城代として駐在しました。
しかし、桶狭間の戦いで今川義元が死ぬと岡崎城に駐在していた今川軍も退却し、家康が岡崎城に入城しました。
この後、家康は岡崎城を拠点として、三河一向一揆の鎮圧や三河の統一を果たしました。
家康が遠江に侵攻し始め遠江が領国化してくると岡崎は西に寄りすぎていることから拠点を浜松に移し家康も浜松城に移ります。
その跡には家康の長子信康が城主となりました。
天正7年(1579)の信康の自害の後は、石川数正、ついて本多重次が城代として岡崎城に詰めました。
天正18年に家康が関東に移封された後には、豊臣秀吉の武将田中吉政が入城しました。

