そのため、家康・秀忠も大変意を用いました。
今日は、朝廷対策の要となった「禁中並公家諸法度」について書きます。
武家諸法度に続いて、元和元年(1915)7月17日崇伝が起草した「禁中並公家諸法度」が京都二条城で発令されました。
家康・秀忠のいる二条城に、前関白二条昭実(あきざね)、前右大臣菊亭晴季(きくていはるすえ)、武家伝奏広橋兼勝、三条西実条(さねえだ)が呼ばれました.諸法度が広橋によって読み上げられ、家康、秀忠、二条昭実が署名し発布されました。
そして7月30日に禁中清涼殿で、全ての門跡:公卿を前に武家伝奏広橋兼勝が読み上げ、各自はその写しを作成し持ち帰りました。
右上写真は二条城です。
「禁中並公家諸法度」は全文で17条あります。
第1条は、大変有名です。
「天子諸芸能の事、第一御学問なり」と規定されていて、「天皇が行うべきことの第一は学問である」として、史上初めて天皇の行動を規制したものでした。
第2条以下の各条では、次の内容が規定されています。
第2条 三公(太政大臣・左大臣・右大臣)の序列が定められ、現役の三公は親王より上座とされ、 摂家衆のつく三公のほうが天皇の兄弟の親王より席が高いとされました。
第3条 清華家(せいがけ)(摂関家に次ぐ家格)の大臣辞任後の席次
第4条 摂関の任命は能力あるものを選ぶこと
「摂家たりといえども、その器用なきは三公摂関に任ぜざるべから ず。況(いわん)やその外をや」
第5条 摂関は能力ある者は老年でもよく再任も可
第6条 養子は同姓、女縁からの相続の不承認
第7条 武家の官位は公家官位の定数とは無関係とする
第8条 改元は、中国の年号から吉ものを選ぶこととする
第9条 天皇、仙洞(上皇)、親王、公家の服装規定
第10条 諸家の昇進の次第
第11条 関白や武家伝奏などの命令に背くものは流罪とする
第12条 罪の軽重の基準は名例律(みょうれいりつ)(養老律の一部)とする
第13条 親王門跡と摂家門跡の席次
第14条、第15条 僧正、門跡、院家(いんげ)について
第16条 紫衣の寺住持職について
第17条 上人(しょうにん)号について
この禁中並公家諸法度」は、天皇、親王、摂家、門跡などの行動を細部まで規制したものです。
しかし、家康が朝廷に赴いて公卿達と意見を交換したり文書での意見を求めたりしているので一方的に押し付けたものではなかったようですが、、幕府が朝廷統制するにあたり大きな力を発揮するようになり、発布以後、一度も改定されることなく幕末まで効力を持ち続けました。

