まず最初は日野宿本陣跡です。
日野宿本陣の幕末の当主佐藤彦五郎には土方歳三の姉おノブが嫁いでいて、新選組の有力な後援者でした。
以前はここで蕎麦屋をやっていて、蕎麦がおいしいので蕎麦を食べに来たことがあり、ひさしぶりに来ました。
日野の本陣は元々は上佐藤家であり、下佐藤家は脇本陣だったそうですが、幕末には本陣となりました。
現在の建物は、佐藤彦五郎が10年に及ぶ準備をしたのち建築し元治元年(1864)から住み始めたものです。
本陣の長屋門には天然理心流の「佐藤道場」があり、近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎などが修業しましたが、大正15年の大火で焼失してしまったそうです。
下の写真は宝泉寺の本堂です。
宝泉寺には、新選組の6番組長だった井上源三郎の供養墓と碑があります。
宝泉寺は、臨済宗建長寺派の禅寺です。開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚、創立は元徳年間(1330年頃)だそうです。
現在の本堂は、平成13年5月に新築されたそうで、あたらしく立派な本堂でした。
井上源三郎のお墓と碑が、本堂の左側にありました。
源三郎は、八王子千人同心の井上家の三男として誕生しました。
天然理心流の近藤周助の弟子となり佐藤道場や自宅で剣術に励みました。
兄、松五郎と共に日野八坂神社の奉納額に記載されています。
文久3年浪士隊として上洛し、新選組では6番組長として活躍しました。
慶応4年、鳥羽・伏見の戦い、千両松に出陣し、戦いの中、銃弾によって討死しました。
この際、源三郎のおいの泰助は、源三郎の首を故郷に持ち帰りたいと努力しますが、ついに叶わず、逃げる途中にあったお寺の門前の田んぼに埋葬したそうです。
そのお寺がどこか最近までわからなかったが、井上源三郎の性かの前にあるお寺と同じ名前の欣浄寺というお寺であったことが判明したという話を関さんがしてくれました。