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清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)
 今日は、清浄華院と姉小路 公知(あねがこうじきんとも)です。

 清浄華院(しょうじょうけいん)というお寺をご存じですか。
 あまり観光名所ではないので、ご存じないかもしれませんが、先日紹介した梨木神社のすぐ近くにあります。南側の廬山寺は紫式部の邸宅跡と言われていてキキョウでも有名です。

清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_21592079.jpg この清浄華院は、浄土宗七大本山の1つです。一般には縮めて浄華院(じょうけいん)と呼ばれているそうです。
 その歴史は古く、平安時代までさかのぼります。
 貞観2年(860)、時の天皇である清和天皇の勅願により、天台宗の慈覚大師円仁が宮中に禁裏内道場として建立したのが始まりです。
 平安時代も終わろうとする頃、浄土宗の開祖である法然上人が現れました。
清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_21595596.jpg  後白河法皇は法然上人を宮中に呼び教えを請い、高倉天皇・後鳥羽上皇とともに上人を戒師として授戒も受けられました。
 後白河天皇は法然上人の教えに大変感動され、参内の宿舎とされていた清浄華院を法然上人に賜りました。
 これによって清浄華院は浄土宗に改められ、以後念仏道場としての道を歩むことになったのです。
 このため清浄華院では慈覚大師を創立開山、法然上人を改宗開山としているそうです。

清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_2212260.jpg この清浄華院は、幕末の攘夷急進派の公卿で猿が辻で暗殺された姉小路公知(あねがこうじきんとも)のお墓があります。
 姉小路 公知のお墓は本堂東の墓所の北東奥にありました。
右上写真が姉小路公知のお墓です。


 さて、姉小路公知は、天保10年(1839)、姉小路公前の子息として生まれる。
 安政5年(1858)、日米修好通商条約に反対し、廷臣八十八卿の指導者として活動した。
 文久2年(1862)9月、右近衛権少将となり、幕府への攘夷督促の副使として、正使三条実美とともに江戸に向かいました。
 のちに国事参政となり、三条実美とともに攘夷派の先鋒となりましたが、文久3年(1863)に深夜朝議からの帰途、京都朔平門外の猿ヶ辻で刺客に襲われ自宅でなくなりました。

 この姉小路公知が襲撃された事件は、「猿が辻の変」とか「朔平門外の変」と呼ばれます。
清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_21334457.jpg 「猿が辻」というのは、京都御所の東北部で鬼門除けのために、、築地塀の角を欠いています。
 右写真で、中央部が欠かれているのがよくわかると思います。
 そして、左下写真のようにやはり鬼門除けのために屋根裏に日吉山王社の神のお使いの猿を祀っています。
 そのため、猿が辻と呼ばれます。

 姉小路公知の自宅は、猿が辻の近くにありました。。
 文久3年(1863)5月20日午後10時頃、朝議を終え、宜秋門から退出して帰宅の途に付いた姉小路公知は、禁裏の築地を北周りに通り、朔平門外を越えたあたりで覆面をした刺客3人に襲われました。
 一人は下僕の提灯を払い、ほかの二人は 公知を襲いました。 公知は傷を受けて太刀を取ろうとして太刀を持っていた従者は既に逃げ去っていました。
清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_21354064.jpg 公知が持っていたのは扇子だけでした。そこで、 公知は賊の刀を奪おうとしました。その時従者の中条右京も賊に襲いかかりました。そのため、賊は刀をおいて逃げ去りました。
 中条右京は、 公知を肩にかつぎ姉小路邸まで運びましたが、 公知は重傷を負っていて気息奄々たる状況でした。
 公知は家臣を呼んで遭難の届書と知人に託す後事を述べ、丑の刻に亡くなりました。
 享年25才でした。

 事件の報が天皇に届くと、家茂を召し、必ず兇徒を捜索し 公知の霊を慰めるよう命じました

 武家伝奏坊城俊克、事件現場には、犯行に使われたと思われる刀が遺棄されていたため、その刀を証拠として、薩摩藩士田中新兵衛を捕縛するよう命じました。
 26日、京都守護職の会津藩は、東洞院蛸薬師の田中の寓居を急襲し、田中新兵衛およびその場に居合わせた仁礼源之丞を逮捕し、坊城邸へ連行した。
 坊城は、京都町奉行永井尚志に命じて町奉行所に拘留させましたが、その夜、田中新兵衛は隙を見て奉行所内で自刃してしまいました。この責任を取り、町奉行永井は閉門謹慎となりました。
 長州や土佐藩には、田中新兵衛を知っている人が多く、残された刀は田中新兵衛の刀だという人が多かったようです。
 また。死体を検分した事件の生き残りも新兵衛に間違いないと証言しました。

こうしたことから、当初から田中新兵衛が犯人との見方が強かったようです。
清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_21382352.jpg  田中新兵衛は薩摩藩関係者であったため、薩摩藩に対する疑念がかけられ、薩摩藩は外構九門の一つである乾御門(右写真)警備の任から外され、さらに薩摩藩関係者の外構九門内往来が禁じられてしまいました。

 現在でもなお事件の真犯人について諸説あるものの田中を実行犯とする説が最も有力です。


 清浄華院と姉小路 公知(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_2214689.jpg この清浄華院には、多くの公卿や皇族のお墓がありました。
 その中に、山科言継(やましな ときつぐ)のお墓がありました。
 本堂東側の墓所の中で、本堂の近くでした。
 山科言継は、室町時代末期から安土桃山時代にかけて活躍した公卿ですが、織田信長との交渉役なども務めています。
 山科言継が書いた日記『言継卿記』は、当時の公家や戦国大名たちの動向が詳細に記されていることで有名です。
予想外にお墓が新しいのでビックリしました。いつ建立されたか聞くのを忘れてしまいました。






 赤印が清浄華院です。 青印が梨木神社緑印が廬山寺です。


by wheatbaku | 2012-08-22 11:07 | 江戸検お題「徳川将軍15代」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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