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蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)
 今日は、有名な禁門の変について書きます。
 禁門の変は、蛤御門の変とも呼ばれています。
 尊攘派の長州藩と幕府や会津藩・薩摩藩との間起きた合戦です。
 「変」と呼ばれることから小事件のように思われますが、長州藩の軍勢は3千人余りと言われており、これに対して幕府と諸藩合計の軍勢は3万と5万とも言われており、合戦といっていい規模の戦いでした。

 蛤御門(下写真)は、京都御苑西側にある門です。烏丸通りに面して西を向いています。
蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_855186.jpg 京都検定1級ももっている江戸検1級仲間の大沢さんの話によると、蛤御門は、昔は現在より30~40m東よりの位置にあり、鍵型で南を向いていたそうです。。
 もとは「新在家門」と呼ばれていましたが、宝永5年(1708)に起きた宝永の大火で、今まで閉じられていた門が開いたことから、「焼けて口開く蛤」のたとえで蛤御門と呼ばれるようになったそうです。

 八月十八日の政の結果、長州藩兵は京都を追放されてしまいました。
 長州藩内においても、事態打開のため京都に出兵しようという意見が出されました。
 積極策を主張したのは来島又兵衛、真木和泉、久坂玄瑞らであり、桂小五郎、高杉晋作らは慎重な姿勢を取るべきと主張しました。
 そこに、6月5日の池田屋事件がおき多くの尊攘派浪士が新選組に殺されました。
 池田屋事件については、昨年に書いた 「池田屋事件の跡」 をご覧ください。
 池田屋事件の報が伝わると、慎重派の周布政之助、高杉晋作らは藩論を沈めようとします。
 しかし、福原越後、益田右衛門介、国司信濃らは、挙兵を主張しました。
 益田、久坂らは山崎天王山に、国司信濃、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺に、福原越後は伏見長州屋敷に兵を集めて陣営を構えました。

 そして、朝廷への陳情を開始しました。しかし朝廷は、長州藩に対して退京を命じ、追討令を出そうとします。
蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_915738.jpg  長州藩は、 7月17日に石清水八幡宮で軍議を開いて決戦の方針を決めました。
 戦いは7月19日未明伏見方面で始まります。長州藩の福原越後が率いる隊と幕府方の大垣藩が激突し、
福原越後が負傷すると長州勢は敗走しました。

 一方、天竜寺に布陣していた国司信濃隊は、御所へと迫ります。
 まず国司信濃の率いる軍勢は、中立売御門(右上写真)を攻めました。ここを守っていたのは、筑前藩でした。
 国司信濃の部隊は、筑前藩を破り、御所内に攻め入りました。

 蛤御門には来島又兵衛が率いる一隊が攻め掛かりました。この門を守っていたのは会津藩でしたが、来島隊は強く、蛤御門を守る会津藩を圧倒します。
蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_8552973.jpg  国司信濃と来島の隊は、両門を突破し公卿門に迫りました。
 こうした時、薩摩藩が中立売御門の北の乾御門から蛤御門にいる長州藩に攻めかかりました。
 長州兵は敵を迎え撃ちますが、大砲も発射して攻撃する薩摩藩に敗れ潰走します。
 蛤御門には、右上写真のように、戦いの激しさを物語る銃弾の跡が残されています。

 この乱戦の中で来島又兵衛は討ち死にします。
 「巨眼の男」のなかでは川路利良が来島又兵衛を一発で撃ち倒したと書かれています。
 来島又兵衛が死ぬと長州勢は総崩れとなりました。
蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_8555822.jpg 京都御所の南西に清水谷の家の椋という大木があります。(左写真)
 
 ここには説明板に次のように書かれています。
 この大きなムクの木は、このあたりが清水谷家という公家の屋敷であったことから「清水谷家の椋」と呼ばれています。樹齢は約三百年といわれ、苑内でも数少ないムクの大木です。
 1864(元治元)年の禁門の変の時、長州藩士で遊撃隊(長州尊皇攘夷激派の一つ)の総督だった来島又兵衛がこの木の付近で討死したとも伝えられています。


 蛤御門の長州兵が敗走した直後に、山崎から出発した久坂玄瑞・真木和泉の率いる部隊が堺町御門に到着します。
蛤御門と禁門の変(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_8563920.jpg 堺町御門は越前藩が防御しており、やむなくこの部隊は、鷹司邸に潜り込み、幕府軍と対峙します。
 鷹司邸に入った久坂玄瑞は、前関白鷹司政通に嘆願し御所へ参内する供に加えて貰えるよう訴えますが、政通はこれを拒否します。
 国司信濃・来島又兵衛を破った会津藩、薩摩藩の藩兵も鷹司邸を包囲します。
 大軍に包囲された中で、久坂は松下村塾の塾生であった寺島忠三郎とともに自刃しました。
 さらに、松下村塾四天王の一人に数えられた入江九一は、久坂と寺島から後事を託され屋敷を脱出しようとしましたが、殺されてしまいました。
 また、真木和泉は、天王山に引きし、しばらく抵抗しますが、7月21日に自刃しました。

 長州勢が入り込んだ鷹司邸は、堺町御門を入った東側にありました。
 現在は、大きな木の下の鷹司邸跡と書かれた木の柱がたっています。(右上写真)

 幕府軍は長州藩の拠点となった鷹司邸を焼き払らいました。一説には一橋慶喜の命令だったとも言われます。
 この火事が火元なって、三日間に渡って燃え続けた結果、京都市内の大半が焼け、多くの家屋や数多くの社寺が焼失しました。
 これは天明の大火に次ぐ被害で、「どんどん焼け」「鉄砲焼け」と呼ばれています。


長州藩は、禁門の変を起こしたことにより、「朝敵」となります。そして、第一次長州征伐が行われることになります。
by wheatbaku | 2012-08-27 08:54 | 江戸検お題「徳川将軍15代」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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