人気ブログランキング | 話題のタグを見る
同志社大学と薩摩藩邸(江戸検お題「徳川将軍15代」)
 幕府が、第2次長州征伐を準備している時に、幕末の政局に決定的な影響を与えた薩長同盟が結ばれています。
 
 今日は、その薩長同盟が結ばれた京都における薩摩藩邸と同志社大学について書いてみます。
 薩長同盟の立役者はご存じのとおり、坂本龍馬ですが、
 薩長同盟については、昨年の1月に書いていますので 薩長同盟 をご覧ください。

 京都の薩摩藩邸は三つありました。
 一つは、錦小路藩邸です。もう一つは、二本松藩邸です。さらに伏見藩邸です。
 今回の京都旅行では、錦小路藩邸跡と二本松藩邸跡を見てきました。
 錦小路藩邸は、現在の大丸の場所にありました。
同志社大学と薩摩藩邸(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_11425038.jpg 大丸の西側の東洞院通り側にある搬出入口に通じる道路脇に石柱と説明板があります。
 しかし、雑踏のなかにあるので見落としがちです。石柱が駐車している車の陰にあって私も見つからなくて、タクシーの運転手が見つけてくれました。

 説明板には次のように書かれていました。
 この場所に大名の屋敷が設けられたのは、16世紀末か17世紀初頭からと考えられる。
まず最初は山城守松平忠国の屋敷であったが、17世紀末の一時期は松平下総守の屋敷になり、その後18世紀初頭からは約160年間にわたり代々の薩摩守(島津氏)の京屋敷となっている。

 江戸時代、薩摩藩邸は錦小路と東洞院通りに面していて、四条通りとは接していませんでした。今では四条通のほうがにぎやかですので、四条通りとは接していないことが意外な感じがします。
 禁門の変の際には、薩摩藩兵は、この錦小路の藩邸から出軍しました。
 しかし、錦小路の藩邸が禁門の変で起きた「どんどん焼け」により焼失した後は、二本松の藩邸が中心となりました。

 二本松の藩邸は、現在では同志社大学になっております。
 二本松藩邸跡の石柱は、同志社大学の西門前にあります。
同志社大学と薩摩藩邸(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_1149825.jpg  説明板には次のように書かれています。
 現同志社構内の敷地一帯は、幕末に薩摩(鹿児島)藩々邸があった所である。京都薩摩藩邸がはじめに置かれたのは中京区錦東洞院であるが、そこが手狭なため、文久2年(1862)にここに大きな藩邸を設けたのである。敷地の広さ、5,805坪(約1万9千平方メートル)、9棟の建物と多くの土蔵が立ちならんでいた。

 ここでは重要なことが行われました。
 薩長同盟の合意です。薩長同盟は、慶応2年正月21日に合意しましたが、その話し合いが、二本松の藩邸で行われたのでした。
 薩長同盟の合意がどこで行われたかについては、小松帯刀の屋敷で行われたという説もあるようですが、「京都の歴史」には次のように書かれていて、二本松の藩邸で行われたといっています。

 ついに木戸は12月27日、長州を発つことになった。
 木戸は使者の黒田了介とともに、年あけて慶応2年1月7日に伏見に入り、西郷らの出迎えをうけながら、共に相国寺二本松の藩邸に入った。藩邸では小松帯刀・大久保利通ら数十人が木戸と面会したが、薩長の融和、取極め等々については、木戸が十数日滞在しても薩摩・長州両藩からなんの提案も行われず空しく時間を費やしていた。そして、木戸があきらめて帰国を決意しようとした1月20日、坂本龍馬が、馬関より二本松の藩邸に入ってきたのであった。

 同志社大学と薩摩藩邸の関係について触れておきます。
同志社大学と薩摩藩邸(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_1149298.jpg 同志社大学の土地は、明治維新の混乱の中で藩邸跡地を購入した山本覚馬から寄贈された土地です。
 山本覚馬は元会津藩士で、幕末には会津藩の公用方として活躍しました。
 山本覚馬の妹八重は、同志社大学の創始者新島襄と結婚しました。つまり新島襄の義兄になります。
 来年の大河ドラマ「八重のさくら」は、この新島八重を主人公ととしたものです。
 同志社大学には、重要文化財に指定されている建物が数多くありますが、右上写真は「彰栄館」です。
 二本松藩邸跡の石柱のある西門を入ったところにあります。
 左中段の二本松藩邸跡の石柱と説明板の写真の後方に写っている赤レンガの建物が「彰栄館」です。

 赤が薩摩藩の錦小路藩邸跡の石柱です。
 赤が薩摩藩二本松藩邸跡の石柱です。 青が同志社大学の彰栄館です。

by wheatbaku | 2012-08-29 10:44 | 江戸検お題「徳川将軍15代」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
2024年 10月
2024年 09月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事