そして、江戸文化歴史検定の試験日が10月28日(日)ですので、丁度あと4週間ということになりました。
受験される皆さん、本当の追い込みになってきましたね。それぞれ、自分なりのやり方でこれまで勉強されていると思いますので、やり方を急に変える必要はないと思いますが、江戸文化歴史検定は記憶力の勝負であることは間違いないと思います。
そこで、この期間は記憶できる量を大幅に増やすための受験対策が必要だと思います。
私の勉強方法が良いとはいいませんが、私は、1か月を切ったら、テキストの読み込みだけを行っていました。
テキストのマーカーした部分(図表の部分も含めて)、そして、他の本に書かれていて、覚えておいた方がよいと思うことは、テキストに書き込んでおきました(下の写真参照)ので、その書き込みを繰り返して読んで暗記しました。
それと一級の場合には、記述があるので、その漢字書き取りは最後の1か月間に勉強しました。
これは、テキストを読みながら常識的な言葉が漢字で書けるかどうかチェックしていきました。
受験される皆さん、あと1か月間悔いのないように頑張ってください。
そして、閑ができたら、「気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録」をちょっと読んでください。
あぁ、そうかというような情報が提供できればよいなぁと思いながら、試験日直前まで「徳川将軍15代」について日々更新していきます。
受験勉強の合間にお寄りください。

さて、本題の「徳川将軍15代」ですが、今日も8代将軍吉宗の話題です。
吉宗も、延享元年(1744)に還暦を迎えました。
そろそろ将軍職の委譲を考えるようになりました。
そして、延享2年(1745)9月25日、将軍職を長男・家重に譲り、西の丸に移り大御所となりました。
暗愚で病弱と言われた家重より聡明な次男の宗武を新将軍に推す動きもありましたが、吉宗は長幼の序を大事にして家重を選んだと言われています。
そして吉宗は次男・宗武、三男・宗尹を独立した大名とせず、田安門内、一橋門内に屋敷を与え将軍家の家族・身内として処遇しました。これが田安家と一橋家で御三卿の始まりです。その後、9代将軍家重が、次男・重好に清水家を起こさせて、御三卿となりました。
御三卿は、幕府から10万石が給せられていましたが、独自の藩とはならず、領地は幕府が支配し、家老以下の家臣は幕臣の身分のまま派遣しました。つまり家臣団は幕府からの出向という形をとっていました。
吉宗は、延享3年(1746)11月脳卒中に襲われました。その後、摂生に励み、宝暦元年(1751)3月には本所に鷹狩りに出かけられるまでに回復しました。
しかし5月23日に再び脳卒中に倒れ、治療が施されましたが、6月19日には危篤状態になり20日午前6時ごろ68歳で亡くなりました。
遺言によって、新たな霊廟は造らず、綱吉の常憲院殿霊廟に合祀しました、
常憲院殿霊廟は上野の寛永寺にありますが、非公開ですので拝観はできません。しかし勅額門だけは拝観できます。(右上写真)
勅額門の奥に吉宗も埋葬されています。
ところで、10月、11月に、文京学院大学生涯学習センター主催講座【江戸検合格者と巡る江戸散歩:江戸庶民の楽しみ「寺社参詣」】で、上野・浅草をガイドすることになりました。
ブログで案内をする前に定員に達してしまうという状況でありがたい限りです。
昨日のそのガイドの下見のために寛永寺根本中堂にお参りしましたら、大勢の拝観客がいました。現在、寛永寺では、根本中堂と徳川将軍御霊廟【常憲院殿 (5代綱吉公)、有徳院殿 (8代吉宗公)、温恭院殿 (13代家定公)、天璋院殿 (13代御正室)】の特別公開をしていて、それに申し込まれた方が拝観されていたのでした。
将軍の御霊廟は滅多に拝観できませんので、ご興味のある方は、寛永寺のホームページをご覧ください。

