賄賂が大好きで賄賂により政治を左右されたと思われています。
しかし、こうした人物評価に対して真っ向から異論を唱えたのが学習院大学名誉教授の大石慎三郎氏です。
今日は、大石慎三郎教授の「田沼意次の時代」の内容を一部紹介します。

大石慎三郎氏は、「田沼意次の時代」の中で、田沼意次の悪事悪評をまとめて世間に周知させたの辻善之助氏著の「田沼時代」であるが、それらはすべて作為された悪事悪評であるといいます。
田沼意次の悪評を書いた本について誰が筆者かよく見極める必要があると大石氏は言います。
辻氏の諸説の主な出典の一つ「植崎九八郎上書」は田沼意次と同時代に起きた旗本植崎九八郎が書いたもので従来から信頼度の高い田沼批判書とされているものです。
しかし、植崎は自分を認めない政権に対して反感を抱き新政権に就職の機会を期待する立場の人間であり、この上書は田沼意次が失脚し松平定信が政権をとった時期にかかれているものです。
また、「甲子夜話」は九州平戸藩の藩主松浦静山が書いたもので、田沼時代を語る時には必ずといってよいほど引用される史料です。
問題は、静山の立場です。松浦静山の叔母さんは本多忠籌【ただかず】の正室です。本多忠籌は松平定信の「信友」で、松平定信が老中となると若年寄、側用人になり、さらには老中となった人物です。
また松浦静山の奥さんは、松平信明の妹です。松平信明は、本多忠籌と同様に松平定信の「信友」で、松平定信が老中になると側用人に推挙され、さらには老中になった人物です。
つまり、松浦静山は松平定信の寛政の改革を支えた二本の柱である本多忠籌と松平忠明と深い関係でむすばれています。
そうした松浦静山が書く田沼の人物評が公正なものであるか疑問があるというのが大石氏の考えです。
次に「甲子夜話」とならんで信用されるとして利用されてきた「伊達家文書」も、藩主伊達重村が官位昇進運動の中で田沼意次への賄賂がでてくるのであり、重村の狂気ともいうべき猟官運動の中だということを忘れてはならないとしています。
このように田沼意次の悪評を記した史料としてつかわれているものを見ると、これらの資料はすべて田沼意次が失脚した後に書かれたものであり、また信頼されるとされていた諸本も必ずしも公正に田沼政治を評価する史料とするには不適切であるとしています。
そして、田沼意次についてこれまで紹介されてきた「悪評」はすべて史実として利用できるものではないと書いています。
この本により、私も大きく田沼意次に対する評価が変わりました。 最近では、田沼意次は改革派だったのではないかと考えるようになってきています。

