絶好の行楽日和で、参加者20名プラスαで、次のコースのご案内でした。
西郷隆盛銅像 ⇒ 秋色桜 ⇒ 清水観音堂 ⇒ 時の鐘 ⇒ 東照宮(お化け燈籠、大石鳥居、水舎門) ⇒ 上野動物園旧正門 ⇒ 東京音楽学校奏楽堂 ⇒ 国際こども図書館 ⇒ 5代将軍綱吉公霊廟 ⇒ 寛永寺根本中堂 ⇒ 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)旧居跡 ⇒ 徳川慶喜公お墓 ⇒ 天王寺五重塔跡 ⇒ 天王寺
まず西郷さんの銅像の案内から始まりです。
西郷さんの銅像は、西郷さんは高村光雲、愛犬ツンは後藤貞行が作成したもので、皇居外苑の楠正成像と同じく組み合わせです。西郷さんの写真は一枚もないという説明には皆さんお驚かれました。
また、この西郷さんの銅像は散歩をしているように見えますが、実は兎狩りをしている姿です。
そのため、腰に兎狩り用の罠がはさんであることをクイズを交えて説明しました。
時の鐘は、鐘楼を守る人によって、捨て鐘が三回衝かれ朝夕六時と正午の三回、昔ながらの音色を響かせていて、朝夕は9回、昼は15回衝かれます。松尾芭蕉が、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 と詠んだのだから、深川からも聞こえたわけです。
湯島から参加された方がいましたが、いまでは湯島でもきこえないそうです。
東京音楽学校奏楽堂の構内には、滝廉太郎の銅像があります。この銅像を造ったのは朝倉文夫です。朝倉文夫は、大分県竹田市の竹田高等小学校で同じ時期に学んでいました。
滝廉太郎が4生のとき朝倉文夫は1年生だったそうです。
滝廉太郎の銅像の台座の裏側には次のような碑文がかかれています。
滝君とは竹田高等小学校の同窓であった。
君は十五才自分は十一才、この二つの教室は丁度向かい合っていたので僅かに一年間ではあったが印象は割合に深い(後略)
綱吉公霊廟勅額門も喜んでいただきました。
寛永寺に6人の将軍、増上寺に6人の将軍、そしてその他に家康と家光が日光、慶喜が谷中霊園に埋葬されています。この説明に対して寛永寺と増上寺への将軍の埋葬はどのように決められるのですかという鋭い質問もいただきました。
勅額門の奥の石垣の中に、5代将軍綱吉、8代将軍吉宗、13代将軍家定の宝塔そして、家定と並んで天璋院篤姫の宝塔がありますが、一般公開されていませんので、拝観はできません。
天王寺は、江戸三冨の一つですので、富くじの話が中心でしたが、谷中七福神の毘沙門天のお話もしました。
毘沙門天様は、日蓮宗から天台宗に改宗する時に、輪王寺宮が天王寺の本尊は毘沙門天にするようにし、毘沙門天像は伝教大師が造られたものを比叡山(横川円乗院)からお迎えしたものと伝えられていて、今も毘沙門堂に安置されています。また、昭和32年に五重塔が焼失した際に、五重塔の初重は完全には焼失せず、昭和36年に五重塔の残った部材でもって、現在の毘沙門堂(上写真)が建立されたそうです。
講座は3時過ぎに終了しましたので、その後、谷中散歩をご希望者10名の方と楽しみました。
谷中には、こんな所もあります。右写真の上は観音寺の築地塀で、江戸時代のものです。
右写真の下は登録有形文化財の質屋を利用した「すぺーす小倉屋」
そして、最後は、さらにご希望者とお酒を飲んで懇親を深めることができました。
昨日は、初めてのお客様ばかりでしたが、ご興味の深い方が多く大変話しやすい講座でした。良い質問も多く寄せられました。なるほど鋭いというものばかりでした。
また、お近くの人が多くて、上野は何回も来ている人が多かったのですが、そうした人たちからも初めて知りましたという声が何度も聞かれました.それなりに良いコースと話題を提供できたのかなと思います。
しかし、全体に時間が短くて、どうしても、あわただしい説明になってしまったのが残念でした。
ご参加いただいた皆様、大変お世話になりありがとうございました。ご満足いただけたでしょうか。
私は楽しくガイドさせていただきました。すごく感謝しています。
また、オプションの谷中散歩にご参加いただいた皆様ありがとうございました。当日のご提案でしたので予定外だったとは思いますが、10名もご参加いただきうれしく思いました。
さらには飲み会までお付き合いいただいた皆様ありがとうございました。大変楽しいお酒でした。
最後に文京学院大学のTさんには当日の準備・手配すべてしていただきました。ありがとうございました。
また11月の講座、皆様どうそよろしくお願いいたします。

