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感応寺と天王寺(江戸検お題「徳川将軍15代」)
 天保の改革が始まった早々に家斉の肝いりで建立された鼠山感応寺の破却が行われました。これは、水野忠邦が寺社奉行阿部正弘に命じて行わせたものです。
 先日天王寺の案内を案内しましたが、天王寺は元は感応寺といい、感応寺から天王寺への寺号が変更されました。
感応寺と天王寺(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_9234660.jpg これにも関連するので、今日は鼠山感応寺について書いていきます。
 右写真は、天王寺の本堂です。左下写真は、天王寺の露座の大仏です。 元禄3年に建立されたものです。

 谷中感応寺は元禄年間に不受不施派問題に絡んで、天台宗に改宗させられました。
 鼠山感応寺は、谷中の感応寺の日蓮宗への帰宗を悲願とした池上本門寺の願いを容れる形で、将軍徳川家斉の特別の思し召しによって、天保4年(1833)に取り立てられた寺院でした。

 鼠山感応寺の取り立ての背景には、当時江戸城大奥で家斉の寵愛をもって大きな勢力を有したお美代の方の影響がありました。
 お美代の方の実父は下総中山智泉院の日啓でしたが、その美貌に目を付けた中野碩翁が養女して、大奥に奉公させました。
 お美代の方はまもなく将軍家斉のお手付きとなり、3人の娘を産みました。
感応寺と天王寺(江戸検お題「徳川将軍15代」)_c0187004_9235814.jpg お美代の方の実父日啓は、弁舌にもすぐれ政治的手腕もあったようです。
 文政初年に家斉が病気になった時に、何かのたたりではないかと日啓に相談すると、日啓は、10代将軍家治の嫡男で将軍世子でありなが突然死去した家基のたたりだと申し立てました。
 家基の怨霊を怖れた家斉は、文政10年に、家斉自身と家基の木像を作らせ智泉院に下賜して祈祷させ、翌年文政11年は家基の50回忌にあたるため、下総国中山の法華経寺境内にある徳岡八幡社の社地に新たに若宮八幡の社殿を建立させ、その別当寺として守玄院を建て、日啓を別当としました。
 こうして、日啓は自分のお寺の智泉院を将軍家の祈祷所にすることに成功しました。
 
 そして、天台宗に改宗さえられていた谷中感応寺の再興を願いました。
 しかし、輪王寺宮舜仁法親王により日蓮宗への改宗は中止となり、長耀山感応寺から護国山天王寺へと寺号を改称しました。
 そして、新たに天保7年(1836)目白に鼠山感応寺が建立されることになりました。
 この感応寺は壮大な伽藍を誇ったものでした。
 鼠山感応寺は開創以来、家斉やその子供たち、そして大奥女中たち、さらには諸大名の祈願寺として、大いに信仰されて繫栄しました。
 しかし、大奥の女中たちが、参詣にかこつけて、お寺の僧たちと風紀を乱しているという噂が立ち始めました。
 そこで、水野忠邦が、新任の寺社奉行阿部正弘に調査を指示しました。
 それをうけて天保12年、阿部正弘が、まず中山の智泉院に踏み込み日啓たちを捕縛し取り調べると奥女中たちの無軌道な行為のほか、日啓が大奥にとりいった経緯がわかりました。
 そこで、日啓は女犯の罪で遠島を申し渡されました。また日啓の息子日尚も日本橋で3日晒し、妻の妙栄は押込とされました。
 そして、鼠山感応寺は、破却を命じられました。
 鼠山感応寺は、建立さえてから僅かに五年間で、その歴史を閉じました。
 そして、感応寺という名前はなくなり、元の感応寺であった谷中の天王寺は、護国山天王寺として現在まで続いています。 
by wheatbaku | 2012-10-25 09:25 | 江戸検お題「徳川将軍15代」

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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