難しかったですか? 簡単でしたか?
朗報が届くとよいですね。
それにしても受験お疲れ様でした。少しゆっくりしてください。
さて、土曜日に「赤穂浪士引き揚げルート」を築地本願寺まで歩いてきました。
そこで、今日からは、そのルート沿いの史跡をご案内していきます。
今日は、スタートの本所松坂町公園です。
本所松坂町公園は昭和9年につくられました。それには次のような経緯がありました。
赤穂浪士の討ち入り後、吉良家が改易となったため、吉良邸跡は町人が住む町になりました。そのため、吉良家の名残を残すものはありませんでした。そこで、昭和9年に地元の自治会の有志がお金を出し合い、土地を購入し、東京都に寄付しました。それがこの公園です。現在は墨田区に移管され墨田区立公園となっています。
元の吉良邸は約2550坪ありましたが、この公園は約30坪しかなく、元のお屋敷の1%ほどの広さです。
赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日に行われました。
討ち入りした時刻は午前4時ころです。表門隊24人と裏門隊23人に別れ、討ち入りしました。
表門は大石内蔵助、裏門は大石主税が大将で、吉田忠左衛門が補佐しました。
表門隊では、大高源吾と間十次郎が梯子をかけて塀を乗り越え一番乗りしました。
裏門隊は掛矢(大きな木槌)で裏門を打ち破り突入しました。
赤穂浪士は、屋敷内斬込隊、長屋制圧隊、表門・裏門の守護隊などに分かれ吉良側と戦いました。
1時間ほどの激闘で、吉良側の反撃を封じました。
そして、残りの1時間ほどは吉良上野介の捜索にかかりました。
その長い捜索の結果、炭小屋に隠れている吉良上野介を見つけだし、首をあげました。
吉良上野介の像が公園内にあります。(左上写真)
この像は吉良家の菩提寺である愛知県西尾市の華蔵寺にある木像をベースに平成22年に作られたもの、上屋は旧吉良町から平成23年に寄贈されたものです。
右写真は、華蔵寺にある吉良上野介の木像です。今年の黄金週間に華蔵寺を訪ねた時に撮った写真ですが、いつもは非公開ですが、華蔵寺さんの特別のご配慮により公開していただき撮らさせていただいたものです。
上野介が50歳の時に、自身をモデルに作らせたものだそうですが、非常に穏やかな表情であるのが印象的でした。
今回ご案内するために事前調査する中で、「人々心得之覚書」という赤穂浪士が討ち入った際の行動要領があることを知りました。
この「人々心得之覚書」には、討ち入りの際の行動について具体的に定められています。
決め事のいくつかを書き上げてみますが、用意周到さに驚きます。
①吉良上野介の首を取ったら、引上場所(回向院)に持参すること。
その際首は上野介の上着で包むこと。
②吉良義周の首は討っても、持参する必要はない。
③吉良親子を討ち取れば笛を吹く。
④引き上げは鉦を打って合図する。
⑤裏門から引き上げる。⑥引上げ場所は回向院とする。
もし回向院に入れない場合には、両国橋の東詰の広場とする。
吉良上野介の首を取った後、赤穂浪士は裏門とも玄関とも言われますが、点呼をとり、裏門から引き揚げました。
裏門があったと思われる場所には、吉良邸裏門跡の高札が立てられています。マンションンの前です。

