人気ブログランキング |
回向院と両国橋(赤穂浪士引き揚げルート2)
 赤穂浪士引き揚げルートの2回目は回向院と両国橋東詰です。

 吉良上野介の首を挙げた赤穂浪士は休息のため回向院へ向かいました。
 これは、事前に定めた「人々心得之覚書」に

引き取り候う場所は無縁寺(回向院のこと)なるべし。ただし無縁寺へ入らず候はば、両国橋東の橋際の広場に打ち寄せ申しべきこと(読み下し文)

 と書かれていますので、討ち入り前に決まっていた行動だと思われます。
 

 回向院は、明暦3年(1657)に起きた明暦の大火(別名振袖火事)でなくなった人々を供養するために、幕府が建立したお寺です。
c0187004_16451728.jpg 現在は、京葉道路側に山門(右写真)がありますが、江戸時代には、西側つまり隅田川に面して表門がありました。
 江戸時代の両国橋は、現在の両国橋より50メートルほど下流に架けられていて、両国橋を渡ってくると正面に回向院が見えるという位置関係にありました。

 回向院での休息を申し込んだ赤穂浪士に対して、回向院は暮れ六つ以後明け六つ以前は誰もいれない決まりとなっていると断りました。
 回向院は関わり合いになって後難が生じるのを怖れたものと思われます。

 そこで、赤穂浪士一行は両国橋東詰で休息しながら上杉家からの討手を迎え撃つ準備をしました。
 現在の両国橋は、赤穂浪士が討ち入りをした頃に比べて50メートルほど上流に架けられています。
 そのため、左下の写真が説明板ですが、説明板の前方には、両国橋は写りません。
c0187004_14165163.jpg 大石内蔵助は、上杉家からの討手は必ず来ると確信をしていたようです。
  しかし、上杉家からの討手はかかりませんでした。
  これは、上杉家では、藩主綱憲は討ち入りの報告を受けるとすぐに救援を出そうとしますが、救援の兵を揃えたり情報を収集するのに手間取っている間に、幕府から高家畠山下総守義寧(よしやす)が訪ねてきて兵を出さないようにとの老中の意向を伝えたため、救援の兵を出すのを断念せざるを得ませんでした。

  「忠臣蔵」の映画やドラマなどでは、実父の吉良上野介のために援軍を送ろうとする綱憲に対して家老千坂兵部がこれを諌めて救援を止めさせる場面があります。「忠臣蔵」の名場面の一つです。
 しかし、これはフィクションだと言われています。
 というのは、一方の主役である千坂兵部は、元禄13年5月につまり討ち入りの2年前に亡くなっていました。
 当時の江戸家老は色部又四郎ですが、色部又四郎も、討ち入りの当日は、上杉家の上屋敷にはいなかったと言われていますので、色部又四郎も止めようがなかったと思います。
 止めたのは、高家畠山下総守義寧だったのでした。

 上杉家の討手が来ないため、赤穂浪士一行は高輪の泉岳寺へ急ぐことにします。
その際、両国橋を渡らず、隅田川沿いに南下するルートを通りました。
 本所から泉岳寺に行くには隅田川を両国橋で渡って江戸市中に入るのが近道ですが、そうすると武家屋敷街を通ることになります。
c0187004_16493522.jpg 討ち入りの翌日は15日です。
 その日は、大名・旗本の登城日にあたっていました。
 当時は、月次御礼(つきなみおんれい)といって、江戸にいる大名と旗本は、毎月1日と15日それと28日(正月、2月、4月、7月、12月のみ)には、江戸城に登城することになっていたのです。
 そこで、泉岳寺までの引揚途中に大名行列と遭遇したり、大名屋敷近くで誰何されたりして、トラブルになる怖れがないとはいえません。
 不測の事態の起こるのを懸念した大石内蔵助は、両国橋(右上の写真は現在の両国橋を日本橋側から撮ったものです)を渡らず、そのまま隅田川に沿って南下するコースをとりました。
 それが、いわゆる「赤穂浪士引き揚げルート」です。
by wheatbaku | 2012-10-29 22:11 | 忠臣蔵

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
by 夢見る獏(バク)
プロフィールを見る
更新通知を受け取る
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
以前の記事
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
ブログパーツ
ブログジャンル
歴史
日々の出来事