参加者21名プラスαで、浅草を散歩してきました。
昨日は快晴で絶好の行楽日和で、浅草は大勢の人出でした。
右下写真は、宝蔵門前の様子でが、混雑ぶりがわかりますでしょうか?
ご案内のルートは次のようです。
雷門 ⇒ 仲見世 ⇒ 伝法院 ⇒ 金龍山浅草餅・助六 ⇒ 宝蔵門 ⇒ 五重塔 ⇒ 迷子のしるべ石 ⇒ 鳩ぽっぽの碑 ⇒ 水舎 ⇒ 本堂(観音様お参り)⇒ 二天門 ⇒
⇒ 花川戸公園 ⇒ 旧猿若町 ⇒ 待乳山(まつちやま)聖天
定番どおり、雷門のご案内からはじめましたが、雷門前はごったがえしていましたので、脇によけてご案内です。雷門の左右には、風神と雷神が鎮座しています。
そのため、正式には「風雷神門」といいます。
また、浅草寺の山号は「金龍山」といいますが、その名前にちなんで大提灯の下には龍の彫刻があることに皆さん驚かれていました。
宝蔵門は、昭和20年に東京大空襲で焼失し、昭和39年に、ホテルニューオオータ創業者の大谷米太郎さんによって再建され寄進されました。宝蔵門の裏側にあるおおわらじは山形県村山市の奉賛会から奉納されたものです。
このわらじ専用の稲がわらじ奉納の前年から栽培され準備されるということに皆さん驚かれていました。
五重塔も東京大空襲で焼失してしまい、昭和48年に再建されました。
戦前までの塔は、現在の塔の反対側に立っていました。
右写真は、宝蔵門のおおわらじの前で説明を聞く参加者のみなさんです。
本堂も正面は混雑しているため、西脇にそれて説明しました。本堂は、東京大空襲で焼失し、昭和33年に再建されました。
しかし、仮本堂は、昭和20年10月に建てられました。終戦が8月15日ですので、その建立の速さに驚きます。
本堂の大きな提灯は浅草寺で最大のもので、高さが4.6メートル、幅が3.5メートルあります。この提灯の下には龍が三匹彫られています。
今は花川戸公園となっているあたりに、昔は姥ケ池と呼ばれる大きな池であったといわれています。姥ヶ池は、だんだ埋め立てられ最終的に明治24年に埋立てられました。
ここには、「一つ家伝説」と呼ばれる少しこわい話があり、いろいろなストーリーがありますが、台東区教育員会のの説明板にそったお話をしました。
待乳山聖天は、正式には金龍山本龍院といい、聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院です。
ここにお祀りしてあるのは、名前のとおり聖天様です。聖天様は、正式には大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)といい、これを略して聖天とよばれています。また歓喜天とも呼ばれます。
聖天様の御利益は、夫婦和合と商売繁盛で、境内各所に巾着や大根がいっぱいあることで有名です。
最後に参加者全員で記念撮影です。
参加された皆さん、大変お世話になりました。天気にはめぐまれましたが、浅草散歩はいかがでしたでしょうか?
つたない説明にもかかわらず熱心に聞いていただきありがとうございました。 皆さんが真剣に聞いていただいたので、楽しく説明ができて、私は楽しく浅草散歩できました。
機会がありましたら、またお会いできればうれしいなぁと思っています。
その後、ご希望者10名の方々と向島を散歩しました。「言問団子」と「長命寺の桜餅」を楽しみながら、さらに長命寺 ⇒ 弘福寺 ⇒ 三囲神社 ⇒ 牛島神社 ⇒ 隅田公園 ⇒ 勝海舟銅像 とまわりました。
今日は、 「金龍山浅草餅のあげまんじゅう」 、 「言問団子」 、 「長命寺の桜餅」 と甘いものを次々に賞味しました。
そして最後は、浅草で懇親会でした。甘いものの後、今度はお酒を楽しみました。
わきあいあいの雰囲気であっというまの2時間でした。
両刀づかいの皆さんのうれしそう顔をごらんください。
さらにさらに、お酒の後に、「甘味処 西山」さんにご案内しました。皆さん、「福々まんじゅう」をお土産に買って帰りました。
みなさ~ん、楽しい時間ありがとうございました。
そして、文京学院大学のTさん、江戸文化歴史検定協会のUさん、いろいろお世話になりさらに最後までお付き合いいただきありがとうございました。

