浅草寺については、過去に詳しくブログで書いていますので、こちらの「浅草寺ツァー」シリーズをお読みください。
土曜日のガイドのスタートであった雷門についても書いてあります。
そこで、今回は、浅草寺を出てから待乳山聖天までの見どころを書いていきます。
さて、今日は花川戸公園にある「助六歌碑」について書いてみます。
花川戸と言えば、江戸好きの人であれば、多くの人が「花川戸助六」を思い起こすだろうと思います。花川戸助六は歌舞伎の「助六」にでてくる人物です。
歌舞伎「助六」は、2代目市川団十郎が正徳3年(1713)に初演しました。
そしてそれ以来、市川団十郎が代々伝えてきたもので、歌舞伎十八番の一つに数えられています。
元々は、大坂千日寺であったという町人萬屋助六と島原の遊女揚巻(あげまき)の心中事件が題材となっていますが、江戸では「侠客(きょうかく)物」となりました。
演目の名前は、時代により多々あるようですが、一般的には「助六所縁江戸櫻』(すけろく ゆかりのえどざくら)」とされます。
「助六歌碑」の碑面には
「助六にゆかりの雲の紫を 弥陀の利剣で鬼は外なり」 団洲
の歌が刻まれています。
9代市川団十郎が自作の歌を揮毫したもので、「団洲」は団十郎の雅号です。
しかしながら、団十郎の文字は達筆でありなかなか読むのが難しく、和歌をどう解釈すればよいのか悩むところです。
歌碑の由来は、台東区教育委員会の説明板には、次のように書かれています。
歌碑は、明治12年(1879)九世団十郎が中心となり、日頃世話になっている日本橋の須永彦兵衛という人を顕彰して、彦兵衛の菩提寺下谷の仰願寺(現、清川1-4-6)に建立した。大正12年関東大震災で崩壊し、しばらくは土中に埋没していたが、後に発見、碑創建の際に世話役を務めた人物の子息により、この地に再造立された。ところで、「助六寿司」の語源は、歌舞伎の「助六」に由来することはご存知でしょうか。
助六の恋人は、吉原の花魁「揚巻」といいます。
助六寿司は稲荷ずしと海苔巻をセットにしたお寿司です。
稲荷ずしの材料の油揚の「揚」と海苔巻の「巻」を採ると「揚巻」となり、助六の恋人の名前と同じになることから「助六寿司」と呼ばれようになりました。
赤印が「助六歌碑」です。二天門を東に100メートルほど行った花川戸公園内にあります。

